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2012/11/14

耳嚢 巻之五 其職に隨ひ奇夢を見し事

 其職に隨ひ奇夢を見し事

 

 軍書講釋をなして諸家の夜閑を慰(ゐ)する栗原何某、寛政三年三月三日に不思議の夢を見しは、誰とも名前顏色をも不覺(おぼえざり)しが、御身は軍書など講ずるなれば相應の懸物を與ふべしとて、中は櫻、右は侍、左は傾城(けいせい)を畫(かき)し三幅對なれば、忝しと請て是を見るに、櫻の上に、

  誤つて改られし花の垣

又右の侍の讚には、

  色にかへぬ松にも花の手柄かな

又左の傾城のうへには、

  世の色にさかぬみさほや女郎花

かくありし故、是は仙臺萩の、櫻は陸奧守綱宗、侍は松前鐡之助か、傾城は高尾にもあるらんと、夢驚て枕の元を搜せど曾て一物もなし。さるにても俳諧發句等を常に心に留し事もなきに、三句共しかと覺へける故、宗匠抔に此句はいかゞと尋問(たづねとふ)に、拙(つたな)き句ともいわざれば、早速蘭香(らんかう)を賴て夢の通(とほり)の繪を認(したため)貰ひ、寢惚(ねぼけ)先生とて其頃狂歌など詠じて名高き者に、右の讚を認貰ひしと、右掛物を携へ來りて見せし也。

□やぶちゃん注

○前項連関:特に感じさせない。お馴染み講釈師栗原幸十郎の語る夢中の俳諧が記憶され、それが事実と符合するという不思議夢物語。ここまで符合が一致し過ぎると夢らしくなく、創作性が見え見えという気がする。もう少し、夢らしく朧にしておいて、謎解き部分で漸層的に謎解きをして語ればよかったのに、などと私は贅沢に思ったりもするのだが……。最初に本文読解の為に、必要不可欠な本文中に現れる「仙臺萩」、伊達騒動を題材とした歌舞伎及び浄瑠璃「伽蘿先代萩(めいぼくせんだいはぎ)」について、私は当該作品を見たことも読んだこともないなので、ウィキの「伽蘿先代萩」から大幅に引用させて頂くことをお許し願いたい(アラビア数字を漢数字に代え、記号の一部を変更した。細かな事件概要は同「伊達騒動」を参照されたい)。『本作の題材となった伊達騒動は、万治・寛文年間、一六六〇年から一六七一年にかけて仙台伊達家に起こった紛争』、『巷説においては、おおむね以下のような物語が形成され』、流布した。『仙台伊達家の三代藩主・伊達綱宗は吉原の高尾太夫に魂を奪われ、廓での遊蕩にふけり、隠居させられる。これらはお家乗っ取りをたくらむ家老原田甲斐と黒幕である伊達兵部ら一味の仕掛けによるものだった。甲斐一味は綱宗の後を継いだ亀千代(四代藩主・伊達綱村)の毒殺を図るが、忠臣たちによって防がれる。忠臣の筆頭である伊達安芸は兵部・甲斐らの悪行を幕府に訴える。酒井雅楽頭邸での審理で、兵部と通じる雅楽頭は兵部・甲斐側に加担するが、清廉な板倉内膳正の裁断により安芸側が勝利。もはやこれまでと抜刀した甲斐は安芸を斬るが自らも討たれ、伊達家に平和が戻る』というもので、『本作をはじめとする伊達騒動ものは基本的にこの筋書きを踏襲している』。『伊達騒動を扱った最初の歌舞伎狂言は、正徳三年(一七一三年)正月、江戸市村座で上演された「泰平女今川」でこれ以降、数多く伊達騒動ものの狂言が上演されるが、特に重要な作品として、安永六年(一七七七年)四月、大坂中の芝居で上演された歌舞伎「伽羅先代萩」(奈河亀輔ほか作)と、翌安永七年(一七七八年)七月、江戸中村座で上演された歌舞伎『伊達競阿国戯場』(初代桜田治助・笠縫専助合作)、さらに天明五年(一七八五年)、江戸結城座で上演された人形浄瑠璃「伽羅先代萩」(松貫四ほか作)の三作が挙げられる』。『歌舞伎「伽羅先代萩」は、伊達騒動を鎌倉時代に託して描き、忠義の乳母・政岡とその子・千松を登場させた。「伊達競阿国戯場」は、騒動の舞台を細川・山名が争う応仁記の世界にとり、累伝説を脚色した累・与右衛門の物語と併せて劇化した。現在「伽羅先代萩」の外題で上演される内容は、「竹の間」「御殿」「床下」は前者、その他は後者の各場面を原型としている。『天明五年(一七八五年)の人形浄瑠璃「伽羅先代萩」は歌舞伎「伽羅先代萩」を改作・浄瑠璃化したもので、現行「御殿」に用いる浄瑠璃の詞章はこの作品から取られている』。以下、その「概要」から(歌舞伎の各論や演出部分は省略した)。『現行の脚本は大きく「花水橋」「竹の間・御殿・床下」「対決・刃傷」の三部に分けることができる。それぞれが別系統の脚本によっており、全体をとおしての一体感は薄いが、一つの演目で多様な舞台を楽しめるところは本作の魅力でもある』。

花水橋の場

『廓からお忍びで屋敷に帰る途中の足利頼兼(伊達綱宗に相当)が、仁木弾正(原田甲斐に相当)に加担する黒沢官蔵らに襲われるが、駆けつけた抱え力士の絹川谷蔵に助けられる』。『絹川は、「伊達競阿国戯場」系の脚本では、頼兼の放蕩を断つため高尾太夫を殺しており、「薫樹累物語」では高尾の妹・累との因縁が描かれる』。『頼兼による高尾殺しを描いた脚本もあ』ると記す。

竹の間の場

『頼兼の跡を継いだ鶴千代(綱宗嫡子の亀千代に相当)の乳母(めのと)・政岡(千松の生母・三沢初子に相当)は、幼君を家中の逆臣方から守るため、男体を忌む病気と称して男を近づけさせず、食事を自分で作り、鶴千代と同年代の我が子・千松とともに身辺を守っている。その御殿に、仁木弾正の妹・八汐、家臣の奥方・沖の井、松島が見舞いに訪れる。鶴千代殺害をもくろむ八汐は、女医者・小槙や忍びの嘉藤太とはからって政岡に鶴千代暗殺計画の濡れ衣を着せようとするが、沖の井の抗弁や鶴千代の拒否によって退けられる』。

御殿の場

『一連の騒動で食事ができなかった鶴千代と千松は腹をすかせ、政岡は茶道具を使って飯焚きを始める。大名でありながら食事も満足に取れない鶴千代の苦境に心を痛める政岡。主従三人のやりとりのうちに飯は炊けるが、食事のさなかに逆臣方に加担する管領・山名宗全(史実の老中・酒井雅楽頭)の奥方・栄御前が現われ、持参の菓子を鶴千代の前に差し出す。毒入りを危惧した政岡だったが、管領家の手前制止しきれず苦慮していたところ、駆け込んで来た千松が菓子を手づかみで食べ、毒にあたって苦しむ。毒害の発覚を恐れた八汐は千松ののどに懐剣を突き立てなぶり殺しにするが、政岡は表情を変えずに鶴千代を守護し、その様子を見た栄御前は鶴千代・千松が取り替え子であると思い込んで政岡に弾正一味の連判の巻物を預ける。栄御前を見送った後、母親に返った政岡は、常々教えていた毒見の役を果たした千松を褒めつつ、武士の子ゆえの不憫を嘆いてその遺骸を抱きしめる。その後、襲いかかってきた八汐を切って千松の敵を討つが、巻物は鼠がくわえて去る』。

床下の場

『讒言によって主君から遠ざけられ、御殿の床下でひそかに警護を行っていた忠臣・荒獅子男之助が、巻物をくわえた大鼠(御殿幕切れに登場)を踏まえて「ああら怪しやなア」といいつつ登場する。鉄扇で打たれた鼠は男之助から逃げ去り、煙のなか眉間に傷を付け巻物をくわえて印を結んだ仁木弾正の姿に戻る。弾正は巻物を懐にしまうと不敵な笑みを浮かべて去っていく』。

対決の場

『老臣・渡辺外記左衛門(伊達安芸に相当)、その子渡辺民部、山中鹿之介、笹野才蔵ら忠臣が問註所で仁木弾正、大江鬼貫(伊達兵部に相当)、黒沢官蔵らと対峙する。裁き手の山名宗全は弾正よりで、証拠の密書を火にくべさえする無法ぶり。外記方の敗訴が決まるかというその時に、もう一人の裁き手の細川勝元(板倉内膳正に相当)が登場し、宗全を立てながらも弾正側の不忠を責め、虎の威を借る狐のたとえで一味を皮肉る。自ら証拠の密書の断片を手に入れていた勝元は、署名に施した小細工をきっかけにさわやかな弁舌で弾正を追及し、外記方を勝利に導く』。

刃傷の場

『裁きを下された仁木弾正は、改心を装って控えの間の渡辺外記に近づき、隠し持った短刀で刺す。外記は扇子一つで弾正の刃に抗い、とどめを刺されそうになるが、駆けつけた民部らの援護を受けて弾正を倒す。一同の前に現れた細川勝元は外記らの働きをたたえ、鶴千代の家督を保証する墨付を与える。外記は主家の新たな門出をことほぎ深傷の身を押して舞い力尽きる。勝元は「おお目出度い」と悲しみを隠して扇を広げる』。

 なお、「伽羅先代萩」先代萩はマメ科センダイハギ Thermopsis lupinoides(和名漢字表記は「千台萩」)。中部地方以北から北海道、朝鮮半島・中国・シベリアの砂浜海岸や原野に群生する。高さは四〇~八〇センチメートル、葉は三つの小葉から成り、互生して葉柄の基部には大きな托葉がある。五月から八月にかけて茎の先端に極めて鮮やかな黄色の花を咲かせる。和名の由来自体が本作に因む。

・「軍書講釋をなして諸家の夜閑を慰する栗原何某」「夜閑」は「よしづ」と訓読みしているか。「夜閑を慰する」は暇な夜の遊(すさ)びの謂い。お伽である。彼は「卷之四」の「疱瘡神狆に恐れし事」の条に『軍書を讀て世の中を咄し歩行(ありく)栗原幸十郎と言る浪人』として初登場、本巻でも「麩踏萬引を見出す事」以降、数話の話者として現われる魅力的なニュース・ソースである。底本には「軍書講釋」の右に『(尊經閣本「軍書讀」)』、「栗原某」の右に『(尊經閣本「栗原翁」)』とある。

・「寛政三年三月三日」「寛政三年」は辛亥(かのとい)で西暦一七九一年、同「三月三日」は丁丑(ひのとうし)の大安である。陰陽五行説で神聖な「一」を別格とし、「三」は初めの陽数であるから、縁起がよいとされ、それが三つ並ぶという三重の重陽という設定自体が作為的であるが、逆に言えば、意識の中にその特異な日という覚醒時の意識が無意識下に作用して、かくも特異な夢を創らせたのであると、心理学的には言えなくもない(この前後に彼が「伽羅先代萩」関連の講釈を行ったか若しくは予定していたとすればなおのこと)。我々も特別な日に特別な夢を見ることは、ままある。

・「誤つて改られし花の垣」

  誤つて改(あらため)られし花の垣

岩波版長谷川氏注に『綱宗が誤った所行を改めたという』とある。「花の垣」は、風雅人の隠棲する庵の垣根で、綱宗の隠居所をイメージするか? 不学ながら不明、識者の御教授を乞うものである。

・「色にかへぬ松にも花の手柄かな」

  色に替へぬ松にも花の手柄かな

岩波版長谷川氏注に『松に忠臣の松前鉄之助を暗示。忠節の心を変えずはなばなしい手柄を立てた。』とある。山屋賢一氏の盛岡山車を紹介された「すてきなおまつり」HP内の「盛岡山車の演題 松前鉄之助」には、この荒獅子男之助が活躍する「床下の場」をモチーフとした山車の写真や、「伽羅先代萩」のストーリーがかなりコンパクトに纏められており、分かり易い。

・「世の色にさかぬみさほや女郎花」

  世の色に咲かぬ操(みさを)や女郎花(をみなへし)

岩波版長谷川氏注に『高尾は情人との約束を守り、遊女通例の金力・権勢になびくようなことをしなかった。』とある。

・「櫻は陸奧守綱宗」伊達津綱宗(寛永一七(一六四〇)年~正徳元(一七一一)年)は仙台藩第三代藩主。官位は従四位下、左近衛権少将、陸奥守・美作守。万治二(一六五九)年、二十歳で藩主となったが大酒と風流数奇の性癖甚だしく、親類や老臣が意見を繰り返しても聞き入れなかった。伊達家一門衆の伊達宗勝と綱宗の縁戚大名である立花忠茂・池田光政・京極高国が合議の上、幕府老中酒井忠清に問題の解決を相談、翌万治三年七月に伊達家の一門・重臣十四名による連判状を以って綱宗の隠居と二歳になる実子亀千代(後の伊達綱村)の家督相続を幕府に出願、同八月に幕府はこれを許可したが、これがその後の伊達騒動の端緒となった隠居後の綱宗は品川屋敷に住み、和歌・書画・彫刻などに優れた作品を残している(以上は主に「朝日日本歴史人物事典」に拠る)。因みにここで何故、「桜」なのか、「伽羅先代萩」の何かのシーンと関わるのか、不学にして私には不詳。識者の御教授を乞うものである。

・「松前鐡之助」岩波版の長谷川氏注には「伽羅先代萩」伝承の『架空の忠臣』で『松ヶ枝節之助』とあるが、検索すると実在した松前鉄之助広国をモデルとするらしい。この松前広国なる人物についてはよく分からないが、宮城県白石市南町にある傑山寺の公式HPの中の「白石に魅せられた松前国広」のページに同寺に北海道松前城主慶広の五男安広とその子広国の墓があることを記し、そこに『広国は伊達騒動で抜群の働きをなし、伊達六十二万石を救った、歌舞伎でも名高い松前鉄之助である』とある。彼の伊達騒動での実際の働きについて、識者の御教授を乞うものである。

・「高尾」高尾太夫。吉原の太夫の筆頭ともいえる吉原大見世三浦屋の花魁の襲名名。「伊達騒動」伝承では二代目の万治高尾(過去帳から万治三(一六六〇)年十二月二十五日に亡くなっていることに由来。仙台高尾とも)とされ、一説に彼女に溺れた綱宗に七八〇〇両で身請け(彼女の体重と同じだけの金を積んだとも言われ、現在なら五億円から八億円相当)されたものの、夫婦約束をした島田重三郎に操を立てて応じなかったため、乱心した綱宗によって、隅田川三ツ又の船中にて裸にされ、舟の梁に両足を吊るされた上、首を刎ねられた、とされる。

・「蘭香先生」画家吉田蘭香(享保十(一七二五)年~寛政一一(一七九九)年)。

・「寢惚先生」著名な戯作者で狂歌師太田南畝(寛延二(一七四九)年~文政六(一八二三)年)。明和四(一七六七)年に狂詩集「寝惚先生文集」を出版している。洒落本・評判記,・黄表紙などの戯作を多くものし、江戸の狂歌師の名をほしいままにした人物としても知られる。但し、本話の寛政三年頃の彼は、天明七(一七八七)年の田沼政権の崩壊と松平定信の享保の改革による粛正政策を機に弾圧の矛先が向いてきた狂歌界からは、距離をおいていた。彼は寛政六(一七九四)年の学問吟味(幕府の人材登用試験)では御目見得以下の首席で合格しているれっきとした幕吏であった。

 

■やぶちゃん現代語訳

 

 その生業に合わせ奇なる夢を見た事

 

 軍書講釈をなしては諸家の夜の徒然の慰めを生業(なりわい)と致いておる、例の栗原某が、寛政三年三月三日に不思議な夢を見たと申す。……

 

……その……誰(たれ)とも、これ、名前も顔も覚えては御座らねど……夢に現われ出でたるその御仁、

「――御身は軍書などを講ずるを生業と致しておるに付き、相応の掛け物を与えようぞ――」

とて、夢中に頂戴致いたは、これ、

――中は桜――右は侍――左は傾城(けいせい)……

を描いた三幅対で御座ったれば、

「――忝(かたじけな)し!――」

とて受け賜わるまして……これ、仔細に見てみますると、その桜の上に、

  誤つて改られし花の垣

また、その右に描かれた侍の絵の賛には、これ、

  色かへぬ松にも花の手柄かな

また、その左の傾城姿の上には、

  世の色にさかぬみさほや女郎花

と――確かに認(したた)められて御座った。我ら、その折り、夢現(うつつ)乍ら、

『……これは……「伽羅先代萩」の……桜は陸奥守綱宗公……侍は松前鉄之助か……傾城は、かの高尾太夫にてもあるか……』

と思うたと思うたところで……夢から醒めて御座った。……

……醒めた側から、枕元を捜して見申した……が、勿論、そのようなものは、これ、一物(いちもつ)たりと、御座りませなんだ。……

……しかし、それにしても……我ら普段より、気の利いた俳諧発句などを、これ、心に留めおくなんどという風流染みたことは、まんず、一度として御座らなんだにも拘わらず……不思議なることに……これ、三句ともしかと覚えて御座った故、知れる方の宗匠なんどに、

「――という句(くう)は、これ、如何(いかが)か?」

と尋ね問うてみたところが、これ、拙(まず)き句とも申さねばこそ、早速、画家の蘭香(らんこう)先生を頼んで、我らが夢に見た通りの絵(ええ)を認めて戴きまして、丁度その頃、寝惚(ねぼけ)先生と称し、狂歌なんど詠じては名の知られたお方に、かの夢に見た賛を三つとも、認(したた)めて貰(もろ)うて参りました。……

 

……と、わざわざ、まあ、その掛け軸を携えて来たって、私に見せて御座った。

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