一言芳談 二十
二十
明禪法印云、あか子念佛がよきなり。さかしたちたる事どもきこしめして、被仰云(おほせられていはく)、身の程しらずの、物おぼえず。
〇赤子念佛、此次の顯性房の言にて知るべし、身をまかせて佛をたのめるなり。
あか子念佛とは、何の意味もなく、すぐなり心にて口稱(くしよう)するとの事なり。(句解)
〇物覺ず、不覺人(ふかくじん)なり。
[やぶちゃん注:「さかしたちたる事どもきこしめして」「さかしたつ」は「賢し立つ」で、利口ぶる、賢そうに振る舞う、さかしがる、の意。明禅が、ある時、とある僧の、如何にもものが分かったようなもの謂いをお聴き遊ばされて、の意。この条は、明禅の「あか子念佛がよきなり。」と「身の程しらずの、物おぼえず。」の二つのエピグラムから構成されている。
「赤子念佛」湛澄纂輯「標注増補一言芳談抄」では本文の「あか子」も漢字表記となっている。
「此次の顯性房の言」冒頭注で述べた通り、「標注増補一言芳談抄」は湛澄によって分野別配列に完膚なきまでに組み替えられている。この条も「安心」の類に配され、事項は、「一言芳談」の順列では「六十六」に相当する、
顯性房云、小兒の母をたのむは、またく其故を知らず。たゞたのもしき心ある也。名號を信教(しんぎやう)せんこと、かくのごとし。
が配されている。]

