耳嚢 巻之五 貴賤子を思ふ深情の事
貴賤子を思ふ深情の事
老職を勤(つとめ)給ふ伊豆守信明公、寛政八年、公命を請(こふ)て日光へ行(ゆき)て事を行ひ給ふを、母儀の送るとて詠(よみ)給ふよし。
思ふぞよその黑髮の山越へて誠の道を踏迷ふなと
□やぶちゃん注
○前項連関:和歌物語二連発。
・「伊豆守信明」宝暦一三(一七六三)年)~文化一四(一八一七)年)三河吉田藩第四藩主。所謂、寛政の遺老。寛政五(一七九三)年に定信が老中を辞職すると、老中首座として幕政を主導、享和三(一八〇三)年十二月に一旦、老中を辞職するも、二年半年後の文化三(一八〇六)年五月には老中に復帰、死去するまで幕政を牛耳った。寛政八(一七九六)年は正しく未だ現役老中時代、老中という名に騙されてはいけない! この時、彼は満三十三歳である。
・「思ふぞよその黑髮の山越へて誠の道を踏迷ふなと」
思ふぞよその黑髮の山越へて誠の道を踏み迷ふなと
「黑髮の山」日光の男体山。昔より日光山・黒髪山・二荒(ふたら)山などの異称を持つ。とは黒髪山は全山緑樹が覆い繁っていることから、二荒山は観音浄土の補陀洛(梵語フダラク)に基づく。「黑髮の山」は黒髪山と未だ壮年の信明を掛けていよう。歌意は、
――こころから願っておりますぞよ……その未だ黒髪の若気なればこそ、黒髪山の山中にて本道を踏み迷うな、日光山のお勤めにて、誠(まこと)の御政道を踏み迷うな、と――
■やぶちゃん現代語訳
貴賤の区別なく子を思う深情に変わりのなきこと事
老中職を勤められた伊豆守信明殿が、寛政八年、公命を受けて日光へ赴任なさるること相い成った。
その際、御母堂がお見送りをなさるとて、その折り、お詠になられたという歌。
思ふぞよその黑髪の山越へて誠の道を踏迷ふなと

