一言芳談 十九
十九
或人(あるひと)明禪法印にたづね申(まうし)て云、非人法師(ひにんほふし)は、いかなる所にか住(すま)すべく候らん。仰(おほせて)云、念佛だに申されば、いかなる所にてもありなん、念佛のさはりとならん所ぞ、あしかるべき。但(ただし)、境界(きやうがい)をば、はなるべきなり。
〇念佛だに申されば、此の御示し法然上人の御すゝめと同じ事なり。禪勝房に示し給へる御返事、絵詞傳四十五あり。とかく念佛の申さるゝやうにせよとなり。
〇境界、女人近きところ、富貴の家のあたり、人立多きところ、物さはがしき處などをいふ。尤も眷屬の事をもいふなり。
[やぶちゃん注:「非人法師」この「非人」は現実社会の身分制度の被差別民であった「非人」を指すものではないので注意。世俗社会から遁世して「俗世の人に非ざる」存在となった沙門のことを指す。元来、「非人」は「人」の対義語として、釈迦如来の眷属で仏法を守護する護法善神天龍八部衆や、悪鬼のような人間ではない、仏教世界での下位層の存在広く指す語であった。
「禪勝房」(承安四(一一七四)年~正嘉二(一二五八)年)はもと天台宗の僧であったが、蓮生(れんじょう:名将熊谷直実の法名)の説法を聴いて京へ上り、蓮生の師であった法然の弟子となった。後に郷里遠江に帰って番匠(大工)をしながら念仏と教化につとめた(以上は講談社「日本人名大辞典」に拠る)。
「絵詞傳四十五」現在、知恩院蔵の国宝である「法然上人行状絵図」のこと。但し、現在知られるものは全四十八巻(プロトタイプが存在しそれは四十五巻であったものか)。法然の誕生から入寂に至る行状の他、法語・消息・著述などの思想も表わし、更に門弟列伝・天皇や公家武家の帰依者の事蹟まで含んだ構成で、現在のものは後伏見上皇の勅命により比叡山功徳院の舜昌法印(後の知恩院第九世)が徳治二(一三〇七)年から十余年をかけて制作したと伝えられるが、筆者不詳。特に前半部は構図・色彩ともに優れ、鎌倉後期の宮廷絵所絵師の画風を顕著に見せている(浄土宗総本山知恩院公式サイトの「宝物 法然上人行状絵図」の記載を参照した)。
「境界」仏教では善悪の報いとして各自が受ける境遇の意と、五官及び心の働きにより認識される対象、六根の対象である色・声・香・味・触・法の認知・思考の作用によって生れる六境(単に境ともいう)の意を持つ。大橋氏の注は前者を採って『善悪のむくいによって各自の受ける環境』とあるが、これはおかしくはあるまいか? 果報によって受けることが宿命である境遇から離れることは論理的に出来ないはずである。私は寧ろ、後者で採って、六根が敏感に刺激される、欲望に繋がるところの、猥雑でおぞましい認知や思考の起こりやすい対象(女の近く・富貴の者周辺・群衆の中・なんとなく騒がしい場所、そして親類縁者知己知人)を離れよ、逃れよと明禅は述べているのではあるまいか。識者の御教授を乞うものである。]