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2012/11/26

芥川龍之介漢詩全集 十二

   十二

 

山閣安禪客

經牀世外心

空潭煙月出

處々聽春禽

 

〇やぶちゃん訓読

 

 山閣 安禪の客

 經牀(けいしやう) 世外(せいぐわい)の心

 空潭 煙月 出づ

 處々 春禽(しゆんきん)を聽く

 

[やぶちゃん注:龍之介満二十五歳。前年七月に東京帝国大学文科大学英吉利文学科を卒業、九月一日には正式な文壇デビュー作「芋粥」が『新小説』に掲載、「猿」「手巾(はんけち)」「煙草と悪魔」などを矢継ぎ早に発表して、瞬く間に文壇の寵児となっていた。また、八月二十五日には塚本文へプロポーズの手紙を書き、十二月には一日附で海軍機関学校の英語学教授嘱託となって、鎌倉町和田塚(現在の鎌倉市由比ガ浜)に転居している(通勤尾便宜のためであるが、小説執筆のために田端と頻繁に往復しており、本書簡も田端発信である)。同月九日午後九時過ぎに夏目漱石逝去。また、同月には文と婚約が成立した。まさしく作家芥川龍之介の絢爛たるデビュウの只中の一首である。

大正六(一九一七)年三月二十九日附松岡讓宛(岩波版旧全集書簡番号二七九)所載。

松岡は『新思潮』の同人で盟友。この翌大正七年四月には漱石の長女筆子と婚約、結婚した。

 書簡は四ヶ月足らずで早くも『學校も永久にやめちまひたい氣がする』と愚痴り、『創作も氣のりがしない唯かうやつてボンヤリ生きてゐる丈でそれ丈で可成苦しいやうな氣がするそれ丈で生きてゐるやうな氣がする「偸盗」なんぞヒドイ』と、つい十四日前の三月十五日に脱稿(発表は翌四月一日の『中央公論』)したばかりの自作「偸盗」のひどさを具体にあげつらい、『僕の書いたもんぢや一番惡いよ一體僕があまり碌な事の出來る人間ぢやないんだ』とまで吐露している。ただその直後に、二度『熱が高くなつた時』『は死にさうな氣がしていやになつた死ぬとしたらアンマリくだらなすぎるから あんまり今までの僕のやり方が愚劣すぎるから 何だか考へも書くことも秩序立たないやうな氣がするまだ疲れてゐるせゐだらうそれでもこなひだ病間にサイして詩を一つ作つたよ』として、本詩を掲げている。詩の後には『それから詩をつくる氣にもなれない唯漫然と空バカリ見てゐる何だか情無くつていやになるよ』と手紙を締めくくっていることから分かるように、龍之介はインフルエンザに罹患し、職場も一週間程休んでいる。創作の産みの苦しみと病気のダブル・パンチがこの弱音には作用しており、詩にもそうした苦しい現実からの逃避願望が現われているとも言えよう。

「經牀」邱氏の注に『座禅をする場所』とある。

「世外」浮世を離れた場所。「せがい」とも読む。

「空潭」人気のない奥深い淵。この語と起承転句までは詩仏王維の知られた五律、

 

  過香積寺

 不知香積寺

 數里入雲峰

 古木無人徑

 深山何處鐘

 泉聲咽危石

 日色冷靑松

 薄暮空潭曲

 安禪制毒龍

 

   香積寺(かうしやくじ)を過(と)ふ

 知らず 香積寺

 數里 雲峰に入る

 古木 人徑 無し

 深山 何處(いづこ)の鐘ぞ

 泉聲 危石に咽(むせ)び

 日色 靑松に冷かなり

 薄暮 空潭の曲

 安禪 毒龍(どくりやう)を制す

 

の光景と禅味をインスパイアしている。

・「香積寺」長安の東南、終南山の山裾にある名刹。浄土教の祖善導所縁の地として知られる。

・「曲」は湾曲した流れの淵のほとり。

・「毒龍を制す」心中に蟠る妄念を「毒龍」とし、それを滅却した座禅する僧を配す。

 

「處々 春禽を聽く」これも言わずもがなであるが、孟浩然の、

 

   春曉

  春眠不覺曉

  處處聞啼鳥

  夜來風雨聲

  花落知多少

 

    春曉

   春眠 曉を覺えず

   處處 啼鳥を聞く

   夜來 風雨の聲

   花 落つること 知んぬ多少ぞ

の承句に基づく。]

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