耳嚢 巻之五 增上寺僧正和歌の事
增上寺僧正和歌の事
寛政八年の頃、不如法(ふによほふ)の僧侶ありて罪に行(おこなは)れしに、增上寺五拾三世嶺譽智堂僧正の詠(よめ)る歌とて人の見せ侍りし。一宗の貫主(かんじゆ)左もあるべき事と爰に記しぬ。
救ふべき力なければせめて世の塵にけがさぬ法の衣手
□やぶちゃん注
○前項連関:感じさせない。和歌物語。
・「不如法」仏法に反すること。戒律を守らないこと。話柄や和歌から察しても死罪相当の重罪と思われる。
・「嶺譽智堂」(享保十一(一七二六)年~寛政一二(一八〇〇)年)は増上寺五十二世。元文元(一七三六)年増上寺智瑛(第四十八背に典譽智英と名乗る人物がいるが彼か)に師事、安永四(一七七五)年に霊厳寺住持となり天明四(一七八四)年に隠居したが、寛政二(一七九〇)年、幕命により伝通院に住して紫衣を下賜され、同四年、増上寺貫主となった(以上は主に底本の鈴木氏注を参考にした)。
・「貫主」「貫首」とも書き、「かんしゅ」とも読む。本来は「貫籍(かんせき・かんじゃく:律令制の本籍地の戸籍。)の上首」の意で天台座主の異称であったが、後には各宗総本山や諸大寺の住持にも用いられるようになった(増上寺は浄土宗である)。貫長。管主。
・「救ふべき力なければせめて世の塵にけがさぬ法の衣手」読みは、
救ふべき力なければせめて世の塵にけがさぬ法(のり)の衣手(ころもで)
である。「世の塵にけがさぬ法」は、穢土の塵に穢れることのない仏法の意と、俗世の塵(欲)に煽られて、その取り決められた法の定めを犯すようなことはあってはならぬ、の意を込めるか。
――人を救うだけの力がないというのであれば――せめて俗世の法を守って、仏法の道を塵に汚すようなことはせぬが――僧衣を纏う者の、これ、守るべき定め――
■やぶちゃん現代語訳
増上寺僧正の和歌の事
寛政八年の頃、不如法(ふにょほう)の僧侶が御座って罪を問われて罰せられたが、これにつき、増上寺五十三世嶺誉智堂僧正の詠まれた歌とて、人が見せて呉れた。かの増上寺の、一宗の貫主(かんじゅ)たるお方なればこそ、かくもあるべきことじゃ、と私も感じ入って御座った故、ここに記させて戴く。
救ふべき力なければせめて世の塵にけがさぬ法の衣手