芥川龍之介漢詩全集 十六
十六
沙淺蒲猶綠
石疎波自皺
遙思明月下
時有浣沙人
〇やぶちゃん訓読
沙 淺くして 蒲(ほ) 猶ほ綠なり
石 疎(まば)らにして 波 自(おの)づから皺(しわ)む
遙かに思ふ 明月の下(もと)
時に有り 浣沙(くわんさ)の人
[やぶちゃん注:龍之介満二十五から二十七歳頃の作(推定)。
龍之介の遺稿として発見された手帳の一つ「我鬼句抄」に所載。
手帳「我鬼句抄」は、全集後記によれば、罫紙(又は半紙の何れか)を自分で綴じて作った古風な手帳に毛筆で書かれたものである(現在、所在不明)。旧全集は記載内容から末尾に編者によって『大正六年―大正八年』と記されてある。
「浣沙人」邱氏注に『浣沙は洗濯するの意』と記され、現代語訳では『時には洗濯の娘がいるだろうかと遥かなる思いをはせる。』と結句を訳されておられる。……なるほど久米の仙人か……作者が浮かべたのは川で洗濯する小娘か女の脛であったか……大正六(一九一七)年から大正八(一九一九)年にかけて、文との結婚(大正七年二月二日)、大正八年六月の「愁人」秀しげ子との出逢いとその後の彼女との不倫経験など……確かにこれは女なのかも知れないな……
……ただ……私は本詩を最初に読んだ際、違った印象を持った。私にはこの「時に有り 浣沙の人」は男、それも老人、と読んだのである。……それはきっと悲しい教師根性からであろう。……私は自分が教えた教材への深い思い入れに基づく思考の刷り込み効果がある。――だから――屈原の「漁父辭」なのだ。――だから私の川辺には――「纓」(冠の紐)、基、当然、足――を洗うておる老荘の世界に遊んでいる老人の姿が――見えたのである。……これは私の勝手な空想……お忘れあれ……]