一言芳談 三
三
有云、蓮阿彌陀佛が夢に、八幡宮つげてのたまはく、往生は一念にもよらず、多念にもよらず、心によるなり。
(一)往生は一念多念によらず、心による、とは稱名念佛すれば佛になるぞとおもひさだめたる心なり。
(二)心によるなり、世人一念多念のあらそひは口ばかりのことなり。心と口と相應してこそ往生はすれとなり。されば信を一念にとりて、行を多念にはげむべきなり。
[やぶちゃん注:「蓮阿彌陀佛」『死のエピグラム 「一言芳談」を読む』の大橋俊雄氏注には、『豊前の人、聖光房弁長門下の主な弟子の一人』とある。弁長(応保二(一一六二)年~嘉禎四(一二三八)年)浄土宗鎮西派の祖で、現在の浄土宗では第二祖とされる。但し、大橋氏は続けて『隆寛の弟子にも蓮阿の名が見えている』とされる。隆寛(久安四(一一四八)年~安貞元(一二二八)年)は浄土宗長楽寺流の祖である。
「一念」「多念」これは法然門下におこった念仏往生に関する論争「一念義多念義」の問題を戒する謂いである。弥陀の本願を信じる唯一度の念仏で往生出来るとする一念義と、往生には臨終まで可能な限り多くの念仏を唱える必要があるとする多念義の論を指す。平凡社「世界大百科事典」のよれば、前者は行空・幸西らにより、後者は隆寛の主唱に基づくとある。一念義は法然の在世中から京都・北陸方面で信奉され、一念の信心決定に重きを置き、多念の念仏行を軽視、やがては否定した。一念往生の主張を都合よくとって破戒造悪を厭わぬ反社会的行為に走る者も出、専修念仏弾圧の一因ともなった論争である。]
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