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2012/11/16

耳嚢 巻之五 相人木面を得て幸ひありし事


 相人木面を得て幸ひありし事
 


 予が許へ來れる某は相學を好(このみ)て、家業のいとま相を見る事をなせしが、寛政寅の事、初午(はつうま)にいつも千社參りをなしける故、駒込大觀音邊の稻荷抔を札を張りしに、右觀音境内の稻荷の椽際(えんぎは)に、いかにも古びたる瘦男(やせをとこ)ともいふべき面(おもて)あり。子供の捨しにや、さるにても其面相も面白(おもしろき)と思ひしが、若(もし)拾ひ取りても主(ぬし)ありてはいかゞと、其儘神拜をなして歸りけるが、日數暫立て某が女房、今朝可笑しき夢を見たり、能のシテともいふべき面(おもて)忽然として物いひけるは、普請(ふしん)にて我等も居所差支(さしつかへ)候間、此邊へ移し取りて祭りをなせよかし、と云ふに驚(おどろき)て夢覺(さめ)ぬと語りし故、兼て女房に咄しける事もなければ、初午の事思ひ出(いで)て、早速大觀音の近所へ至りてみれば、有りし社頭は普請とみへて足代(あししろ)など掛渡しある故大きに驚き、ありつる椽の下を見るに、其最寄なる所に初午に見し面埃(ほこり)に埋れ有し故、早速拾ひ取て家へ持歸り、清めて神棚へ上げ祭禮をなせしに、夫(それ)より思わずも相學の門人日を追つて多く、世渡りも安く暮しぬと語りぬ。


□やぶちゃん注

○前項連関:思いもかけないものが福を呼び込むことで連関。

・「寛政寅」寛政六(一七九四)年甲寅(きのえとら)。

 

・「初午」陰暦二月の最初の午の日。また、その日に行われる各地の稲荷社の祭礼をも言う。

 

・「千社參り」千社詣で。一般名詞としては、多くの寺社に巡拝祈願することを言うが、狭義には、二月初午の日に稲荷を巡拝することを指す場合が多い。特に本話柄の含まれる天明から寛政年間(一七八一年~一八〇一年)にかけて多くの稲荷社を参る「稲荷千社参り」が流行し、そこに貼った札を「千社札」と言うようになった。これが貼られている間は当該寺社に参籠しているのと同じ功徳があるとされて(あくまで民間の伝承)、日帰りの参拝者が参籠する代わりに自分の名札を貼ったのが始まりと伝えられる。

 

・「駒込大觀音邊の稻荷」「駒込大觀音」は文京区向丘二丁目にある浄土宗天昌山光源寺のこと。天正一七(一五八九)年に神田に創建され、慶安元(一六四八)年に現在地に移転した。境内には元禄一〇(一六九七)年造立の身の丈約八メートルの十一面観音像があって信仰を集めた。本像は東京大空襲で焼失したが、平成五(一九九三)年に再建されている。その近くの稲荷社について、底本の鈴木氏注には『駒込富士前町には満足稲荷の外にも稲荷社が三社ある』と記されておられる。ここでは「右觀音境内の稻荷」とあるから、彼が訪れたのは光源寺境内に祀られた稲荷社、それも普請に足場を組む必要のあるような相応に大きな神殿を持ったものであることが窺われる。

・「瘦男」能面の一つ。執念と怨恨とに窶(やつ)れ果てた男の亡霊を表わす。「阿漕(あこぎ)」「善知鳥(うとう)」「藤戸(ふじと)」の後ジテなどに用いる。

・「足代」工事用の足場。

・「ありつる椽の下を見るに」この「下」は恐らくは「もと」で、かつて面の置かれてあった縁側の、その場所の謂いであろう。但し、シチュエーションではその元の場所を主人公が見る――ない――その縁の真下を捜す――ない――いや! その近くの縁の下にあった! というシークエンスを私は採らせて戴いた。


■やぶちゃん現代語訳


 人相見を趣味とする者が面を拾い得て福を得たる事


 私の元をしばしば訪れる某(なにがし)は相学を好み、家業の暇(いとま)に人の手相・人相見なんどを致すを、これ、趣味と致いて御座った。

 寛政六年寅年のこと、かの男、二月の初午の日には、これ毎年、千社参りを致いて御座った故、その日も駒込大観音辺りの稲荷などを廻って千社札を貼って御座ったところ、その駒込大観音境内の稲荷社の縁の際(きわ)に、如何にも古びた感じの、かの能面の「痩男(やせおとこ)」とでも申そうず、面が一つ、置かれて御座った。

「……玩具の面を、子供でも捨てたものか……いや……それにしては、この面相、なかなかに……面白き面相では、ある……」

なんどと、日頃の相学の興味もあってちょっと惹かれはしたものの、若し拾って持ち帰るも、万一、誰ぞ持ち主の御座ることも、これ、あらばこそ、と考え直し、ただそのままにし、稲荷へ参拝を成して帰って御座った。――

 数日過ぎた、ある日のこと、かの男の女房、朝餉の折り、

「……今朝は可笑しな夢を見ましたのよ。……何だか能のシテに似た面が、忽然と夢の中に現われて、ものを申しますの……それを聴けば……『――普請の始まって――我らが居所(きょしょ)にも差支えの出来(しゅったい)致いて御座る間――この辺りへ移し――祭りをなせよかし――』……と、あの、何とも暗(くろ)う沈んだ顏で云いますの。……もう、驚いて、そこで、夢から醒めました。……」

と語る故、

『……おかしい。……かねて、あの面のこと、これ、女房には話してはおらぬが……』

と、かの初午の日のことを思い出だいて、早速、大観音の近くを指して参ったれば……

先日まで御座った稲荷社の社頭……

これ、何やらん、普請替えと見えて……
縦横に、足場なんどを掛け渡して御座った故、大いに驚き……

――かの面が置かれて御座った縁を見る……
――ない

――その縁の下を覗く……

――ない……
――いや!

――あった!

……そこから程遠からぬ縁の下に、かの初午の日に見た一面、これ、埃(ほこり)に埋もれて御座った。
 早速に拾い取りて家へと持ち帰り、洗い清めて神棚へと上げ、祭礼を成した。……

 

「……いや! それより、思いの外、下手の横好きで御座った相学の門人が、これ、日を追う毎、増えましての!……趣味で御座ったものが、その……門弟からの謝金だけでも、これ、易く暮らせるほどに、これ、相い成って御座りまする……」


と、かの当人が語って御座った。

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