芥川龍之介漢詩全集 十
十
閑情飲酒不知愁
世事抛來無所求
笑見東籬黄菊發
一生心事淡於秋
〇やぶちゃん訓読
閑情 酒を飲みて 愁ひを知らず
世事 抛(なげう)ちて 求むる所無し
笑みて見る 東籬(とうり)に黄菊の發(ひら)くを
一生 心事 秋よりも淡なり
[やぶちゃん注:龍之介満二十三歳。この書簡の前月九月、龍之介は既に、かの名作「羅生門」を書き下ろして脱稿している(発表は十一月一日発行の『帝国文学』)。まさにこの漢詩は作家芥川龍之介誕生の前夜の創作になるものなのである。
大正四(一九一五)年十月十一日附井川恭宛所載。
なお、これは旧全集には所載しない新発見の書簡で、私は新全集の書簡の巻を所持しないので、ここのみ底本として二〇一〇年花書院刊の邱雅芬氏の「芥川龍之介の中国」の「第二章 芥川と漢詩 第二節 芥川の漢詩」(同書一三四~一三五ページ所載)のものを用いた。但し、例によって私のポリシーに則り、正字化してある。
邱氏の当該項の「解説」によれば、『漢詩の後に、「これは実感ではない。かう云ふ字づらから起る東洋的な気分に興味を持つた丈の話だ」と書かれている』とある。
「笑みて見る 東籬に黄菊の發くを」これは言わずもがな、陶淵明の「飮酒二十首 其五」の「采菊東籬下 悠然見南山」を踏まえる。
飮酒二十首 其五
結廬在人境
而無車馬喧
問君何能爾
心遠地自偏
采菊東籬下
悠然見南山
山氣日夕佳
飛鳥相與還
此中有眞意
欲辨已忘言
飮酒二十首 其の五
廬を結びて 人境に在り
而も 車馬の 喧(かまびす)しき無し
君に問ふ 何ぞ能く爾(しか)るやと
心 遠ければ 地 自(おのづか)ら偏(へん)なり
菊を采(と)る 東籬の下(もと)
悠然として 南山を見る
山氣 日夕(につせき)に佳(よ)く
飛鳥 相ひ與(とも)に 還る
此の中に眞意有り
辨ぜんと欲して 已(すで)に言を忘る
「一生 心事 秋よりも淡なり」この結句の訓読と意味は、中国語に堪能な私の教え子T.S.君の教授を受けた。ここに謝意を表し、彼のこの部分の訳を示す。
――人生における悩みや煩悶など、取るに足りぬ。この秋よりずっと軽くて淡いものさ――]
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