一言芳談 二十三
二十三
又云、眞實にも後世をたすからむと思はんには、遁世が、はや第一のよしなき事にてありけるとぞ。
〇明禪法印云、ことごとしく遁世だてをあらはすがあしきなるべし。
〇第一のよしなきとは、或は世上の憂苦にあひ、ふつつかに思ひすて、ほだしなき身となり、後かへりて、それしやとなりて、名利をこのみ、山ふかくすみ薪かり木こるも、人の見るめをおどろかす事、遁世者のやゝもすれば有事なめり。北山の移文つくりしも、おもひあはされぬ。まこと道をおもはば、心こそ道。心こそ山。心こそ師にて有なれば、たゞ物にかかはらず、世におしうつりて、しかもそまざるがよきとの心を、第一のよしなき事といへり。(句解)
[やぶちゃん注:岩波版の「句解」の引用は「まこと道をおもはば」以下の部分引用であるため、幸い全文(と思われる)を引かれている大橋氏の脚注をもとに完全復元した。
「ほだし」「絆(ほだ)し」で馬の足に絡ませて歩けないようにする綱が原義であるが、転じて、人の身の自由を束縛するもの、行動の障害となる対象を指す語となった。
「それしや」は恐らく「其者」で、その道に通じた専門家、即ちここでは最も悪しき売名者たる「遁世僧」になることを言うのであろう。『やゝもすれば有事なめり』には、「一言芳談句解」板行当時(貞享五(一六八八)年)には、こうした「似非遁世」僧が目に余るほどに多かった――いや、そんな僧ばかりであった――という編注者祖観元師の苦い思いが感じられる。
「北山の移文つくりし」とは、「文選」巻四十三に載る南斉の孔稚珪「北山移文」に基づく故事を指す。原話は本来、山林で隠棲すべき隠者が世間に出て行くことを非難する寓話である。六朝の時代、周顒(しゅうぎょう)は隠者として鍾山(しょうざん)、別名北山に棲んでいたが、斉の朝廷から招聘されるや、下山して県令となった。それを聴き及んだ清廉淳直の人孔徳璋(こうとくしょう 四四八~五〇二)はそれを聴き及ぶや、顒が隠逸の志を変節して俗悪な官僚となり下がったことを軽蔑し、この「北山移文」を書いて、顒の鍾山入山を禁じたというものである。その書式は官符の通達文書に則ったもので、周顒のような節操なき人間が本山を通ると山川草木が汚れるから立ち寄ることを許さぬ、という激烈な内容である。現在、「北山移文」は「厚顔無恥」と同義の故事成句となっている(「福島みんなのニュース」の「今日の四字熟語」の八重樫一氏の記載や中文サイトなどの複数ソースを参照した)。
「まこと道をおもはば、心こそ道。心こそ山。心こそ師にて有なれば、たゞ物にかかはらず、世におしうつりて、しかもそまざるがよきとの心を、第一のよしなき事といへり」印象的な言葉である。老婆心乍ら、そうした心の境地にあることが何より「よきとの心を」(よいという真意を示すために)、明禅法印は、ここで殊更の遁世なんぞというものは「第一のよしなき事」であると「いへり」という解なのである。]
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