耳嚢 巻之五 かたり事にも色々手段ある事
かたり事にも色々手段ある事
近頃の事也。牛込赤城の門前に名題(なだい)の油揚を商ふ家有(あり)。右油揚名物の段は下町山手迄も隱れなければ誰しらざる者なし。或日壹人の侍躰(てい)の者、衣類等賤しからず、彼(かの)油揚を錢貮百文調ひて、右見世(みせ)に腰をかけて水もたまらず喰盡(くひつく)し、夫より日數廿日程過て又々來りて、同じく油揚を百文分喰ひけるが、其日は時の廻りにや油揚賣(うり)切る程に商ひける故、聊か不審を生ぜし間、其後日敷經て來る時、御身程油揚好み給ふ人なしとて馳走なしければ、飯酒(めしさけ)は不及申(まうすにおよばず)、油揚のみ喰て、我等事は江戸中は愚か、日本中の油揚喰はざる所もなし、然るに此所に增(まさ)る事なしとて、其住居もあからさまにはいわず、全く稻荷の神ならんと家内尊崇なしけるが、去年の暮の事也しが、又々來りて例の通(とほり)油揚を喰ひ、代錢も亦例の如く拂ひて後、我々も少々官位の筋ありて、近頃には致上京(じやうきやういたし)候など咄して、路用も大かた調ひぬれど、いまだ少々不足故延引の由を語りければ、彼油揚屋は兼て神とぞ心得居(をり)ける故、其不足を聞(きき)て調達をなしなんといへど斷(ことわり)て承知せず。元日の間に合(あは)ず殘念なれなどいひて不取合(とりあはざる)故、家内信仰の餘り深切(しんせつ)に尋問(たづねとひ)ければ、拾五兩程の由故、則(すなはち)亭主も右金子取揃へ遣(つかは)しければ、忝(かたじけなき)由にて預りの證文なすべきといひしに、夫(それ)にも不及(およばず)との事故、左あらば我等が身にもかへがたき大切の品を預け印(しるし)とせんとて、懷中より紫の服紗(ふくさ)にて厚包(あつくつつ)みて封印急度(きつと)なしたる物を渡し、路用官金等も調ひし上は明日出立して上京なし、日數五日には立歸り又上京なすべしといひし故、彌々神速(じんそく)は人間にあらざる事と感賞して、右服紗包は大切に仕廻ひ置しが、五日過ても沙汰なし。春に成りても何の沙汰なければ、彼服紗包を解き改(あらため)ければ温石(をんじやく)なれば、始(はじめ)てかたりに逢ひし事を知りて憤りけると也。
□やぶちゃん注
○前項連関:感じさせない。騙り話としては何となく憎めない気がする滑稽譚ではある。ただ想像すると、油臭くて気持ちが悪くなるという欠点はあるが。先行する「世間咄見聞集」(作者不詳 元禄十一(一六九八)年)の元禄一一年の条には、やや類似した手口で饅頭屋の主人が稲荷を騙る博打打ちによって富貴になるための加持祈禱の依頼に絡んで三百両を騙し取られる話が載り、また北条団水の「昼夜用心記」(宝永四年(一七〇七)年)の「一の五」には、京都小川通りの菓子屋が同様の手口で隠居料七百料をすりかえられた話が載る(以上は岩波文庫版長谷川強校注「元禄世間咄見聞集」の本文及び注を参考にした)。
・「牛込赤城の門前」現在の東京都新宿区赤城元町にある赤城神社の東西にあった門前町。ここは明治維新までは赤城大明神・赤城明神社と呼ばれた。
・「水もたまらず」は「水も溜まらず」で、刀剣で鮮やかに切るさま。また、切れ味のよいさまを言う語であるが、ここは当人が侍(事実そうかは知らない)であることに引っ掛けてあっという間に、素早く、の謂いである。
・「時の廻り」その男が現われた、その日のその時刻が偶然、油揚げが異様に売れて売り切れるのと一致したことを言う。冷静なる話者による挿入である。
・「急度(きつと)」は底本のルビ。
・「温石(をんじやく)」は底本のルビ。言わずもがなであるが、軽石などを焼いて布などに包み、懐に入れたりしてからだをあたためるために用いる石。焼き石。しばしばこの手の騙りでは御用達の、小判や宝玉の似非物となる。
・「去年の暮の事也しが」冒頭に「近頃の事也」とあるから、これは高い確率で執筆推定下限の寛政九(一七九七)年春の前年寛政八年か、七年の暮れと考えられる。
■やぶちゃん現代語訳
騙り事にも色々手段の御座る事
近頃のことで御座る。
牛込赤城明神の門前に、名代の油揚げを商(あきの)う店が御座る。ここの油揚げの評判なることは、これ、下町・山手までも隠れなく、知らぬ者とて御座らぬ。
ある日のこと、一人の侍体(てい)の者が来たって――これ、着衣なんども賤しからざる御仁にて御座ったが――かの油揚げを何と、銭百文分も買い求めて、そのまま店先に腰を掛けて、眼にもとまらぬ速さで喰い尽くすと、黙って帰って御座った。
それより二十日ほど過ぎて、またまた来たって、同じく油揚げ百文分を喰い尽いて同じきに帰って御座ったが――その日は、これ、たまたま時の回りが一致したものか――その御仁の来たった折りが丁度、油揚げの売り切れる程の繁昌に当たって御座ったがため、店の主人は聊か、
『……不思議なことじゃ……』
と思うた。
かの御仁、その後、数日を経て再び現れたによって、主人は、
「……貴方さまほどに、油揚げをお好みにならるる方は、初めてにて御座ります。」
と声をかけ、膳を進めて饗応致いた。
しかし、かの男、飯や酒は申すに及ばず――油揚げ以外のものには一切口をつけず――油揚げだけを、これ、喰う、喰う、また喰う、その時あった、ありったけの油揚げを皆、喰い尽くして、而して曰く、
「……拙者は江戸中はおろか――日本中の油揚げ――これ、喰うたことのない油揚げは、御座ない。……然るに――ここの油揚げに優るものは、これとて、御座ない!」
と喝破した。
丁重に男の住まいなんどを訊ねてはみたものの、これ、何故かはっきりとは言わずに、その日も帰って御座った。
「……これはもう――全く稲荷の神さまに相違ない!……」
と主人以下家内一同、すっかり尊崇致す仕儀と相い成った。……
ところが、去年(こぞ)の暮れのことで御座る。
またまたかの男の来たっては、例の通り、油揚げを鱈腹平らげ、代銭もいつも通りに払(はろ)うた後、
「――実は――我らこと――この度、少々、官位昇進の筋――これ、御座っての――近いうちには――これ、上京致すことと、相い成って御座った……」
なんどという話しを始めたかと思うと、
「……いや路銀も大方は……調うて御座るのじゃが……未だ少々……不足して御座る故……出立(しゅったつ)は延引致さざるを得まいが……これで……官位昇進の道は断たるることと相い成ろうかのぅ……」
と語って御座った故、かの油揚げ屋主人、予(かね)てより、稲荷神と信じて御座った故、
「――その不足の分は、お幾らで御座いまするか? 私(わたくし)どもが御用達致しますに依って!」
と申し述べたところが、男は断って、一向に承知致さぬ。しかし、そのそばから、
「……官位昇進の儀なれば……元日に間に合わぬというは……これ……我らが眷属の絶対の礼式を失し……官は最早得られぬ……ああっ! これ……如何にも残念無念じゃ!……」
と独りごちながらも、やはり、借財の申し出はとり合わぬ故、家内一同、懇切丁寧に祈誓致いては不足の金子を尋ね問う。すると、男はいやいや、
「……そうさな……十五両ほどで御座るが……」
との申したによって、主人は早速に金子を取り揃え、男に差し出だいたれば、男は、
「――忝(かたじけな)い!」
とて礼を述べ、懐に収むると、
「……さすれば……預かりの証文……これ、認(したた)むるが――法――で御座ろう、のぅ……」
と申したによって、主人は、
「いえ――我らの尊崇致しますお方なればこそ――それには及びませぬ。」
と答えたところ、男は、
「――そうか。――さすれば我らが身にも、代え難き大切なる――ある品を――これ、貴殿に預けおき――れを預かりの證文の代わりの印(しるし)と致しそう。――」
と申すと、懐中より紫の袱紗(ふくさ)にて厚く包みて、厳重に封印された物を取り出だすと、うやうやしく主人に渡いた。
「――路銀と官位取得のための上納金なども調った上は、明日、出立致いて上京をなし――そうさ、五日の後には立ち帰って――その折りに下賜された金子を以て貴殿に返金致いて――再び上京致す所存にて御座る。」
と申す故、主人以下家内一同、聞き及んで、
「いや! いよいよお稲荷さまじゃ! その神業の脚力、これ、やはり人間にはとてものこと、出来ざる速さじゃて!」
と感嘆すること頻り。……
その日、主人以下一同、店先にて合掌を成す中、男は深々と礼を致いて帰って御座った。……
さても主人は、かの預かった袱紗包みを大切に仕舞いおいて御座ったが……
……五日過ぎても……音沙汰が……ない……
……春になっても……何の音沙汰も……これ……御座ない……
……痺れを切らいた主人、かの袱紗を取り出だいて、これを解き改めて見たところが……
……中にあったは……
――温石(おんじゃく)一つ――で御座った……
……されば、ここに初めて、騙(かた)りに逢(お)うたことを知り、家内一同、憤怒致いたとのことで御座る……いやはや……後の祭り……後の祭り……