芥川龍之介漢詩全集 十三
十三 甲
心靜無炎暑
端居思渺然
水雲涼自得
窓下抱花眠
〇やぶちゃん訓読
心 靜かにして 炎暑 無く
端居(たんきよ)して 思ひ 渺然(べうぜん)
水雲 涼として 自(おのづ)から得たり
窓下 花を抱きて眠る
十三 乙
心情無炎暑
端居思渺然
水雲涼自得
窓下抱花眠
〇やぶちゃん訓読
心情 炎暑 無く
端居して 思ひ 渺然
水雲 涼として 自から得たり
窓下 花を抱きて眠る
[やぶちゃん注:龍之介満二十五歳。(十二)以降の出来事では、五月二十三日に第一作品集「羅生門」を阿蘭陀書房より刊行したことが特記される(漱石門下木曜会メンバーである評論家赤木桁平(池崎忠孝)の紹介による。以下、ご覧の通り、本漢詩は彼に贈られている)。
「甲」は大正六(一九一七)年八月十五日附赤木桁平宛(岩波版旧全集書簡番号三〇九)所載。
「乙」は大正六(一九一七)年九月四日附井川恭宛(岩波版旧全集書簡番号三一七)所載。
赤木桁平宛では、
ボクは中々小説が出來ない十五日の〆切をのばして貰ひさうだ惡詩を一つ獻じる その中ゆく 頓首
赤桁平先生淸鑒
として漢詩があり、次行末に
學弟 椒圖道人百拜
とあるのが全文である。
ここで「〆切をのばして貰ひさうだ」った「小説」であるが、一つの可能性としては、この書簡を書いた後に辛くも完成、この日の締切に間に合った、という推理が成り立つ。その場合、ここで言う「小説」とは、この日に脱稿が確認されている、
ということになる(発表は翌九月一日の『中央公論』)。――そうではなかったとすれば――これは、翌月九月八日に執筆が始まるところの、
とも考えられる(その場合、この時点では構想の段階ということになる)。新しい切り口の江戸物への脱皮を図る前者、芸術至上主義的創作家のイマジネーションの産みの苦しみを描く後者、何れであっても、『ボクは中々小説が出來ない』の質量は途轍もなく重いのである。
因みに、書簡中の「椒圖道人」という雅号は、龍之介の私的な怪談記録帖「椒圖志異」に基づく(リンク先は何れも私の電子テクスト)。
「十三 乙」の載る書簡には次の(十四)が載り、(十四)の詩を掲げた後に、『隱情盛な時に作つた詩だから、特に書き添へる 序にもう一つ』として、本詩を記している。この場合、『隱情盛な時に作つた詩』という条件は、自然、本詩へも作用するものとして龍之介は述べていると考えてよい。]
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