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2012/11/27

芥川龍之介漢詩全集 十三

   十三 甲

 

心靜無炎暑

端居思渺然

水雲涼自得

窓下抱花眠

 

〇やぶちゃん訓読

 

 心 靜かにして 炎暑 無く

 端居(たんきよ)して 思ひ 渺然(べうぜん)

 水雲 涼として 自(おのづ)から得たり

 窓下 花を抱きて眠る

 

     十三 乙

 

  心情無炎暑

  端居思渺然

  水雲涼自得

  窓下抱花眠

 

  〇やぶちゃん訓読

 

   心情 炎暑 無く

   端居して 思ひ 渺然

   水雲 涼として 自から得たり

   窓下 花を抱きて眠る

 

[やぶちゃん注:龍之介満二十五歳。(十二)以降の出来事では、五月二十三日に第一作品集「羅生門」を阿蘭陀書房より刊行したことが特記される(漱石門下木曜会メンバーである評論家赤木桁平(池崎忠孝)の紹介による。以下、ご覧の通り、本漢詩は彼に贈られている)。

「甲」は大正六(一九一七)年八月十五日附赤木桁平宛(岩波版旧全集書簡番号三〇九)所載。

「乙」は大正六(一九一七)年九月四日附井川恭宛(岩波版旧全集書簡番号三一七)所載。

赤木桁平宛では、

ボクは中々小説が出來ない十五日の〆切をのばして貰ひさうだ惡詩を一つ獻じる その中ゆく 頓首

  赤桁平先生淸鑒

として漢詩があり、次行末に

         學弟 椒圖道人百拜

とあるのが全文である。

ここで「〆切をのばして貰ひさうだ」った「小説」であるが、一つの可能性としては、この書簡を書いた後に辛くも完成、この日の締切に間に合った、という推理が成り立つ。その場合、ここで言う「小説」とは、この日に脱稿が確認されている、

大石内蔵助」

ということになる(発表は翌九月一日の『中央公論』)。――そうではなかったとすれば――これは、翌月九月八日に執筆が始まるところの、

戯作三昧」

とも考えられる(その場合、この時点では構想の段階ということになる)。新しい切り口の江戸物への脱皮を図る前者、芸術至上主義的創作家のイマジネーションの産みの苦しみを描く後者、何れであっても、『ボクは中々小説が出來ない』の質量は途轍もなく重いのである。

因みに、書簡中の「椒圖道人」という雅号は、龍之介の私的な怪談記録帖椒圖異」に基づく(リンク先は何れも私の電子テクスト)。

 「十三 乙」の載る書簡には次の(十四)が載り、(十四)の詩を掲げた後に、『隱情盛な時に作つた詩だから、特に書き添へる 序にもう一つ』として、本詩を記している。この場合、『隱情盛な時に作つた詩』という条件は、自然、本詩へも作用するものとして龍之介は述べていると考えてよい。]

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