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2012/11/21

芥川龍之介漢詩全集始動 一

本日より、やぶちゃん版「芥川龍之介漢詩全集」を始動する。420000アクセス突破(現在、416373)までには完成させたいと考えている。

 

 本頁ではまず底本通りの白文で示し、次に私の訓読を「〇やぶちゃん訓読」として一時字下げで附した(原文には訓読文はない)。各首には便宜上、邱氏が附したのと同様に、通し番号を附した(但し、岩波版旧全集を底本としている関係上、書簡の配置が異なる箇所では順序が異なる箇所がある。例えば「一」では甲乙の各首の順は逆転する)。訓読に際しては、所持する邱雅芬氏の現代語訳(後述)や一部に総ルビが振られている筑摩書房全集類聚版などを一部参考にさせて戴いている。なお、中国人であられる邱氏の同評論には訓読文はない。また、同氏の記載によれば、先行する初めて芥川の漢詩を採り上げた評論として、村田秀明氏による三十二首を挙げて読解論評した「芥川龍之介の漢詩研究」(一九八四年三月刊雑誌『方位』七)があるとあり、そこには訓読が示されている可能性があるが、私は未見である。
 芥川の漢詩は圧倒的に書簡中に現れるものが多いが、同時期の複数の書簡中には同じ漢詩を詩句の一部を変改して記したものも多い。そうした複数句形のあるものは煩を厭わず、最初に掲げたものを「甲」としてその訓読後に、「乙」「丙」と全体を二字下げの同様の仕儀で配した。但し、「芥川龍之介の中国」には新全集由来の新発見書簡からの二首が認められ、これは底本を「芥川龍之介の中国」として、恣意的に正字に直したものを用いてある。
 現代語訳は基本的に行わない方針である。これは、私は邱雅芬氏の「芥川龍之介の中国」(二〇一〇年
花書院刊)の解説・語釈・現代語訳・評価等(これらの項目は当該書の評釈の各首に附されている)以上のものを示し得る能力を持たないからであり、是非、非常に優れた研究書である当該書をお読み戴きたいからでもある。特にその「評価」での、先行する漢詩や唐詩との比較検討は素晴らしい。但し、所収する書簡などの書誌的データや書簡の一部引用及び作詩時の芥川の年譜的事実、難解と思われる語句と私の乏しい漢詩知識の中にあってもどうしても語りたい部分については、各首に注を附した。

 

 

   一 甲

 

春寒未開早梅枝

 

幽竹蕭々垂小池

 

新歲不來書幄下

 

焚香謝客推敲詩

 

〇やぶちゃん訓読

 

 春寒 未だ開かず 早梅の枝

 

 幽竹 蕭々 小池に垂る

 

 新歲 來らず 書幄(しよあく)の下

 

 香を焚(た)きて 客を謝し 詩を推敲す 

 

    一 乙

 

  春寒未發早梅枝

 

  幽竹蕭々匝小池

 

  新歲不來書幌下

 

  焚香謝客獨敲詩

 

  〇やぶちゃん訓読

 

   春寒 未だ發(ひら)かず 早梅の枝

 

   幽竹 蕭々 小池を匝(めぐ)る

 

   新歲 來らず 書幌(しよくわう)の下

 

   香を焚きて 客を謝し 獨り敲詩す

 

[やぶちゃん注:「一甲」は明治四五(一九一二)年一月一日附山本喜與司宛葉書(岩波版旧全集書簡番号六五)所載、「一乙」は同日附井川恭宛葉書(岩波版旧全集書簡番号六六)所載で、これ以外の通信文を附さない。当時、芥川龍之介は満二十歳、第一高等学校二年(前年の九月に進級)である。山本喜與司(明治二五(一八九二)年~昭和三八(一九六三)年)府立第三中学時代からの親友で、文の叔父であり、後に二人の婚姻の仲立ちともなった人物である。東京帝国大学農科を卒業後、三菱合資会社に勤務して北京に滞在、その後はブラジルサンパウロで農場を経営、日系人社会のリーダー的存在として活躍した。井川恭(後に婚姻後に恒藤と改姓 明治二一(一八八八)年~昭和四二(一九六七)年)は一高時代の同級生で、後に京都大学法科に進学、法哲学者として同志社大教授・京大教授(昭和八(一九三三)年の京大事件で自ら退官)・大阪商科大学長を務めた(彼は内臓疾患と思われる病気で中学卒業後三年間の療養生活を送ったため龍之介よりも四歳年長である)。ともに芥川生涯の盟友であり、龍之介を語る上で非常に重要な人物でもある。

 

「書幄」「書幌」ともに粗末な書斎の意。「幄(アク)」「幌(コウ)」ともに帳(とばり)で、幄舎・幄屋と言えば四隅に柱を立て、棟や檐を渡して布帛(ふはく)で覆った仮小屋のことをいう。

 

本詩について、邱氏は『中国宋代趙師秀(一一七〇~一二一九)の「約客」を思わせる詩境である。現時点で、趙師秀と芥川との関連性はまだ見つからないが』と記され、その「約客」を白文で引用されている。趙師秀は、字は紫芝、号は霊秀又は天楽と称し、永嘉(浙江省温州)の人、宋の王族で太祖趙匡胤(ちょうきょういん)の八世孫。紹熙元年(一一九〇)の進士で江南地方の各地の小官を歴任、晩年は銭塘(浙江省杭州)に住んだ。永嘉の四霊(えいかのしれい:徐照(霊暉)・徐璣(霊淵)・翁巻(霊舒)・趙師秀(霊秀)の四人。南宋の後半期の四大詩人で、いずれも出身地又は居住地が永嘉(浙江省温州)であったことと、南朝宋の時代に太守として同地に赴任した謝霊運に字や号であやかったことに由る)の中で最も評価が高い。詩集に「清苑斎集」。ここに正字化した当該詩を示し、私の訓読を示しておく(なお、邱氏は結句を「閑敲碁子落花燈」となさっているが、韻としてもおかしく、本邦及び中文の複数のサイトの「約客」を見てみたところ、「花燈」は「燈花」である)。

    約客


   黃梅時節家家雨

   靑草池塘處處蛙

 

   有約不來過夜半

 

   閑敲碁子落燈花

 

 

  〇やぶちゃん訓読

 

     客と約す

 

    黃梅の時節 家家の雨

 

    靑草 池塘 處處の蛙

 

    約有れども來らず 夜半を過ぐ

 

    閑(かん)に碁子(ごし)を敲(たた)けば 燈花落つ



「燈花」燃え残った蠟燭の灯芯に生ずる花形の蠟の塊り。]

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