耳嚢 巻之五 水神を夢て幸ひを得し事
水神を夢て幸ひを得し事
寛政六七の頃、もみぬきといふ井戸流行して、下谷本所遠地水あしくて遣ひ用に難成(なりがたき)場所へ、底あるがわを入(いれ)て夫より樋(と)ひを入てもみぬく事流行して、水不自由の場所大きに益を得し事あり。其(その)井戸の工夫をして流行の起本(きほん)を思ひ立(たち)しは、本所中の郷に住居せる傳九郎といふ井戸掘也。彼(かの)者或る年の夢に、天女ともいふべき壹人の婦人枕元に立て、我は水神也、近き内汝が家に來るべしといふかとみて夢覺ぬ。其後日數經て夏の頃、涼みに川端へ出て水抔あびしに、河中に足に障る物を取上(とりあげ)見しに木像也。能々見れば彼(かの)夢に見し天女共(とも)言ふべきもの也。早速持歸りて、水神ならば龍王の形にても有べきものをと怪みて、近所の修驗(しゆげん)に見せて尋ければ、是は水神也、水神は天女の姿なるよしを申ける故、則(すなはち)宮殿を拵へ、右の内に勸請して朝暮祈誓をなしけるに、日增しに仕合よく見込の通(とほり)家業も調ひ、今は下女下男も多く召仕ひ、傳九郎といへば誰しらぬ者もなき井戸掘なりとかや。
□やぶちゃん注
○前項連関:夢告で連関。
・「夢て」「ゆめみて」と読む。
・「もみぬき」掘り抜きと音が近いのが気になるが、諸本は不詳とするようだ。ところがこれに目から鱗の解説をして呉れているのが、本話も引いておられるseikuzi氏のブログ「不思議なことはあったほうがいい」の「揉抜井戸」である。以下に引用する(文中にアニメーションが入って凝っておられるが、単純にコピー・ペーストさせて頂いた。一行空けが二箇所で入るが詰め、アラビア数字を漢数字に代えさせて頂いた)。
《引用開始》
掘りに掘ってもろくな水が涌かないときは、「掘抜き」という技法が行われるようになる。
江戸の地下を掘って掘って或る程度まで掘ったら、次に節を抜いた竹をズンズンと突いてゆく。すると岩盤にぶちあたるので、ゴツンときたらエイと抜く、と深いところの地下水がピューと出てくるという技法で、やがて、最後の突きのときに、先に鉄勢のノミみたいな道具をつけて丈夫にして(あるいは鉄の棒そのものを使って)、岩盤さえも砕いてさらに下のよりよい水さえ得られるようになった。キリをもみもみするようにして抜くので、「もみぬき」という。そして、今回のタイトルになったそれこそ、我等が伝九郎の発明した新技術なのであった!…という話。
じつはホントウは、この一連の掘抜き→揉み抜きの技術というのは、大阪の職人が一八〇〇年ごろまでに発明したそうで、そもそも江戸より大阪の方が都市の歴史は古い。ところが、大阪はちょっと掘るだけでは塩水がでてきてしまう…というところから、昔から試行錯誤していたのであった。
四国は高知の中心部、JR高知駅の近くに、土佐で飲料用として始めて掘られたられたという井戸のあったところ、として市蹟として「桜井跡」というのがあるけれども、これは藩の役人が参勤交代の途中で近江国で見たモミヌキ法をもちこんだものだそうな(まさに一八〇〇年のできごとだなんだと)。きっと江戸の伝九郎も、発明したというのではなく、その技術をいち早く江戸で実践した、といことだったのかもしれない。ほかになかったのだから、それくらいのCMはカンベンして!
《引用終了》
これ以上の解説は不要であろう。当該記事には当時の江戸の水事情も詳細に書かれており、本話の解読には必読。
・「がわ」岩波のカリフォルニア大学バークレー校版では『ケ輪』で「がわ」とルビする。長谷川氏の注に『井戸側。井戸の側壁。桶の底のない形の物で、ひば材が良い。』とあるが、さすれば「側」ではなく、「箍(たが)の輪(わ)」の約であろう。但し、この本文部分の工法描写はよく意味が分からない。そもそも、これでは「揉み抜く」という意が説明出来ないのである。適当に辻褄を合わせて(否、誤魔化して)訳した。
・「本所中の郷」現在のウンコビル(奇体なモニュメントに由来する私と妻の符牒)アサヒビール本社のある辺り(旧本所中の郷竹町。現在の墨田区吾妻橋一丁目)から東の北十間川左岸業平橋手前一帯の旧地名。
・「修験」これは山伏などの格好をしながら、怪しい御札や似非祈禱を生業とする者であろう。
・「水神は天女の姿なる」竜王の娘。竜宮にいるという仙女のことを言う。本来の姿は勿論、蛇身である。
■やぶちゃん現代語訳
水神を夢に見て幸いを得た事
寛政六、七年の頃、「もみぬき」という井戸掘りの仕方が流行し――下谷や本所辺りの、水の性質(たち)が悪しく、日々の生活にも甚だ支障をきたいて御座った土地にても〔根岸注:底のある「ガワ」を打ち入れた上、そこから樋(とい)を突き刺して水を注入、その水流を以って揉み貫くという手法。〕流行って――水の不便な所にても大いに益を齎(もたら)す事、これ、御座った。
さても、その井戸掘りの工夫を成して、流行の起立(きりゅう)を致いたは、これ、本所は中の郷に住まいせる伝九郎という井戸掘りで御座る。
この伝九郎には、巷(ちまた)にちょいと不思議なる噂が御座る。
……かの伝九郎、とある年の夏の夜(よ)のこと、天女とも見紛う一人の女が夢枕に立って、
「――妾(わらわ)は水神じゃ。――近いうち、汝(なんじ)が家に来たらんとぞ思う。――」
と宣(のたま)うたかと思うたら、そこで目が覚めた。……
数日経って――夏場のことなれば――涼みがてら、川端に出でて水浴びなんどを致いて御座ったところ、川ん中で、何やらん、足に触れたものが御座った。
取り上げてみたところが、これ、一体の木像――
しかも、よくよく見てみれば、これ、先日、夢中に見た天女とも見紛うた、かの女と、瓜二つ――
早速、持ち帰ってはみたものの、はたと考えた。
「……水神言(ち)やぁ、まず、竜王の姿なんが、お定まりじゃあねえかぁ?……」
と怪しんで、近所に住もうておったにわか修験(しゅげん)に見せ、
「……どうじゃ?」
と訊ねたところ、
「――いや、これ、水神さまじゃ――水神さまは、これ、天女の姿をなさって御座るものじゃ。」
と申した故、伝九郎――水絡みの生業(なりわい)なれば――即、神棚を拵え、その中に水神さまを勧請の上、朝暮れとのう、祈誓致いて御座った。……
すると……日増しに仕事もうまく行き始め……今では、何と、下女下男までも数多(あまた)召し使(つこ)うて、『伝九郎』と言えば、誰(たれ)一人として知らぬ者もない井戸掘りにて御座る、とか。