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2012/11/09

耳嚢 巻之五 永平寺道龍權現の事

 永平寺道龍權現の事

 

 永平寺の臺所大黑柱には、道龍權現を勸請して大造成(たいさうなる)宮居ありし由。或る年鐘撞(かねつき)の坊主後夜(ごや)の鐘を撞仕廻(つきしまはし)しが、鐘樓の屋根にて何か物語候樣子故心を澄して聞ば、此度は此地を淸めずばなるまじといふ者あり。かたかたより何卒右の事思ひ止り給へと再應押へる者あれど、此度は思ひ止りがたしといへる故、鐘樓を立出(たちいで)屋根を顧れば何の事もなし。彼(かの)僧早速方丈へ至(いたり)て上達(じやうたつ)の出家を起して、方丈に對面を願ひけれど、深夜の事なれば明日可申(まうすべき)間先(まづ)我等に申べき事は申せと言ひけれど、急成(なる)事にて是非方丈へ申たし、餘人へは難申(まうしがたし)といひける故、詮方なく方丈へ告(つげ)ければ、早速方丈起出て尋ける故、しかじかの事也と語りけるを聞(きき)、さる事もあべし、思ひあたりし事ありと早速寺中の者を起して、今夜より薪にて食湯(めしゆ)を拵間敷(こしらへまじく)、燈火も數を極め、多葉粉(たばこ)など禁制すべしと其道具取上(とりあげ)、門前寺領へも嚴敷(きびしく)觸(ふれ)渡しけるに、一兩日過て一人の行脚の僧來りて、旅に疲れたればとて食事を乞ひける故、安き事なれど湯茶もぬるく冷飯の段答へければ、苦からずとて右食を乞ひし上、多葉粉を一ふく給(たべ)べしと乞ひしが、多葉粉は譯有りて禁ずる由答へければ、是非なしと禮言て立出ぬ。又暫くありて一人の山伏來りて湯茶を乞ひし故、同樣挨拶なして茶をふるまひしに、多葉粉を呑(のま)ん事を乞ふ故、是は難成(なりがたき)事を告(つげ)しかば、不思議成事哉(かな)、此近邊都(すべ)て多葉粉を禁ずるはいかなる事也(や)といひし故、方丈より嚴制にて寺内寺領共禁ずる由を言ひしかば、彼(かの)山伏大に怒りたる躰(てい)にて、俄に一丈計(ばかり)の形と成(なる)と、此(これ)道龍の告(つげ)たる成(なる)べしとて、鼻をねぢりてかき消(けし)て失(うせ)ぬと也(なり)。今に永平寺の道龍權現は鼻曲りてありしと人の語りぬ。

 

□やぶちゃん注

○前項連関:特に感じさせない。言わずもがな乍ら、最初の行脚僧が道龍権現で、後の山伏は道元の事蹟や永平寺の位置から考えて修験道の聖地白山の天狗であろう。本話は取り次ぎ僧の凡庸さや、住持が心当たりがあると感じた部分など、永平寺自体の戒律の乱れや修行僧の怠惰・慢心を揶揄する雰囲気が漂っている。神道派の根岸の筆致も、そうした皮肉なニュアンスの翳を、いささか行間に落しているように私には感じられる。因みに、ウィキの「永平寺」によると、道元の後、第二世孤雲懐奘、三世徹通義介のもとで寺域の整備が進められたが、義介が三代相論(文永四(一二六七)年からおよそ五十年間に亙って起きた曹洞宗内の宗門対立。開祖道元の遺風を遵守する保守派と民衆教化を重視する改革派の対立)で下山、第四世に義演がなったからは庇護者であった波多野氏の援助も弱まり、寺勢は急速に衰え、一時は廃寺同然まで衰微したが、第五世義雲が再興し現在にいたる基礎を固めた、とある。ここでは火災が天狗からの天誅として暗示されるが、暦応三(一三四〇)年には兵火で伽藍が焼失、応仁の乱の最中の文明五(一四七三)年にも焼失、その後もたびたび火災に見舞われており、現存の諸堂は全て近世以降のものである、とある。但し、本話柄が、そうした中の、どの時期のものとして語られているかは分明ではない。

・「道龍權現」「道龍」は「だうりやう(どうりょう)」と読む。岩波版長谷川氏注に『南足柄市最乗寺開山了庵慧明の弟子で同寺守護神の道了尊(鈴木氏)』とある。妙覚道了(生没年不詳)は室町前期の曹洞宗及び修験道の僧で、道了大権現・道了薩埵・道了大薩埵・道了尊などとも称される。応永元(一三九四)年に曹洞宗の僧了庵慧明(りょうあんえみょう)が現在の神奈川県南足柄市にある大雄山最乗寺を開創すると、弟子であった道了はその怪力を以って寺の創建に助力し、応永一八(一四一一)年の師遷化の翌日には寺門守護と衆生済度を起請して天狗となったと伝えられ、最乗寺守護神として祀られた。江戸庶民の間でも信仰を集め、講が作られて参詣夥しく、江戸両国などでは出開帳も行われた。「小田原の道了さん」と呼ばれ、現在も信仰されている。

・「後夜の鐘」「後夜」は六時の一で寅の刻、夜半から夜明け前の頃、現在の午前四時頃を指すが、これで仏家がその頃に行うところの勤行をも指す。これは、その夜明け前の勤行を告げるための鐘である。

・「心を澄して」底本では「凄」。右に『(澄)』と傍注する。「澄」の方を本文に採った。

・「上達」下の者の意見などが君主や上位の官に知られる、若しくは知らされること。取次役。

・「一丈」約三メートル。

 

■やぶちゃん現代語訳

 

 永平寺道龍権現の事

 

 永平寺の厨(くりや)にある大黒柱には、道龍(どうりょう)権現を勧請して、ご大層な神棚が据え付けられてある、との由。

 

 ある年、鐘撞きの僧が後夜(ごや)の鐘を撞き終えたところ、鐘楼の屋根の上にて何やらん、人語にて話し合(お)うておる様子故、凝っと心を澄まし、耳をそばだててみたところが、

「……今度という今度は……この穢れたる地を清めずんばならず!」

と一方が申すと、もう一方の者が、

「……何卒、そればかりは、これ、思い止まられんことを!」

と繰り返し、押し止める声のあれど、

「……いや! 今度(このたび)ばかりは、これ、止め難しッ!!」

と癇走った声が響いた。

 そこで僧は、そっと鐘楼の外へ出でて、屋根を仰ぎ見た……が……そこには誰一人おらず、ただ夜陰に風が吹きすさんでおるばかりで御座った。……

 何か不吉なるものを感じた僧は、急遽、方丈へと走ると、上達(じょうたつ)の僧を起こし、住持への対面(たいめ)を願い出たが、眠りを邪魔された取り次ぎの僧は、これ、大層不機嫌で、

「……何じゃあ?! こんな夜遅うに! 未だ深夜のことじゃて……ええぃ! 明日の朝にでも、我らより申し上ぐる故、それ、まずは、我らに申し上げねばならぬこと、これ、申せぃ!」

と投げやりに申した。

 ところが、鐘撞きの僧は、

「火急のことにて御座れば――是非、直々にご住職さまへ申し上げたく存ずる!」

と、いっかな、引く様子を見せない。

 あまりの頑なさに取り次ぎの僧も折れ、眼をこすりこすり、住持へと告げに参った。

 すると、住持はすぐに起きて、鐘撞きの僧を招くと

「何事の起こりしか。」

と、静かに訊ねた。

 鐘撞き僧の、かの鐘楼での一件を語るのを聴いた住持は、

「……なるほど……そのようなこと……これ……ないとは……申せぬ……いや……思い当たる節……これ……あり……」

と呟くと、住持は寺中の者どもを総て起こすよう命じた。

「――今夜只今より薪にて飯や湯をこしらえては、これ、ならぬ。――燈火(ともしび)も、これ、あらずんばならざるところのみに限りて――煙草なんども、これ禁制と致す――」

と、火器一式、仰山な松明(たいまつ)・灯明(とうみょう)・紙燭(しそく)・火打石、煙管(きせる)や煙草盆に至るまで取り上げ、これ、一所に封じて、また、その翌朝には、門前町や少し離れた永平寺寺領一帯に至るまで悉く、その厳しいお触れを言い渡いた。……

 その日から一日二日過ぎた日のこと、一人の行脚の僧が寺を訪れ、

「――行脚に少々、疲れ申せばこそ非時(ひじ)を給わりとう御座る。」

と、食事を乞うた故、役僧は、

「……易きこと……なれど……生憎、湯茶もぬるく、冷や飯しかお出し出来ませぬが……」

と答えたところ、

「――それにて苦しゅう御座らぬ。」

と気持ちよく、請けがって御座った。

 かの行脚僧、冷たい飲食(おんじき)を済ませた後、

「――さても、煙草を一服致したいが、火を、これ、お貸下さるまいか。」

と乞うた故、

「……実は……煙草は……訳の御座って……こちらにては今、のまれぬ掟となって御座いまして……」

と、役僧は、如何にも気の毒そうに力なく答えるばかりで御座ったが、

「――いや、それでは確かに。是非に及ばず。」

と、何やらん、妙に得心した様子にて、すっくと立ち上がると、丁重に礼を申して立ち去って御座った。……

 さても、また暫くあって、今度は一人の山伏が来たって、同じごと、湯茶を乞うた。

 役僧は最前と同じき断りをなしつつ、冷め切った茶を振る舞(も)うたところ、

「ふん! ならば、煙草を呑まんと欲すればこそ、火を貸して呉りょうほどに!」

と憮然として申す故、役僧、

「……実は……煙草は……訳の御座って……こちらにては今、のまれぬ掟となって御座いまして……」

と同じように返答致いたところが、山伏、声をいたく荒らげて、

「不思議なることではないかッ?! この近辺、至る所、総て、煙草を呑んでは、いかんとは、一体、如何なることじゃッ?!」

と気色ばんだによって、役僧、

「……は、はいッ……そ、そのぅ、ご、ご住職さまよりの……き、厳しきご、ご禁制が先般御座いまして……じ、寺内はもとより、寺領にても、これ、か、か、火気を禁じて御座いますれば……」

とおっかなびっくり返答致いたところが――

「――ヌゥゥ!――ウ、ウ、ウワアアアッツ!!」

と山伏、憤怒怒張の相も露わにして、眦(まなじり)も裂けんばかりに怒り猛るや――

――忽ち――一丈余りの巨体と変じ――

「――かのッ!!――道龍めが――告げよったナッ!!!」

と大音声(だいおんじょう)を挙げると、巨怪なる山伏のその右腕、通臂の如、

――グワン!

と蛇のようにしゅるしゅると延びるや、厨の方(かた)へと突き入ったかと思うと、そこに祀られて御座った道龍権現の像の鼻をねじって――

――ふっと

消え失せてしまった、と申す。

 

「……さればこそ、今に至るまで永平寺の道龍権現さまは、これ、鼻が曲がったままにて御座る。……」

とは、ある人の語って御座った話である。

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