耳嚢 巻之五 痘瘡病人まどのおりざる呪の事
痘瘡病人まどのおりざる呪の事
疱瘡の小兒、數多く出來て俗にまどおりると唱へ眼あきがたき事あり。兼て數も多く、動膿にも至らば眼あきがたからんと思はゞ、其家の主人拂曉(ふつげう)に自身(おのづ)と井の水を汲(くみ)て、右病人の枕の上へ茶碗やうの物に入(いれ)て釣置(つりおか)ば、始終まどのおりるといふ事なし。天一水(てんいつすい)を以(もつて)火毒を鎭(しづむ)るの利にもあるらん。瘡數の多き程右器の水は格別に減(へり)候事の由。眼前見たりと予が許へ來る醫師の物語り也。
□やぶちゃん注
○前項連関:蜂刺傷から疱瘡療治の呪(まじな)い(民間療法)で直連関で、疱瘡では三つ前の似非疱瘡神譚でも連関。
・「痘瘡病人まどのおりざる」通常の高熱でも炎症によって瞼が腫脹し、眼が開かなくなることがあるが、天然痘に罹患すると、発熱後三、四日目に一旦解熱し、それから頭部及び顔面を中心に皮膚色と同じか、やや白色の豆粒状丘疹が生じ、全身に広がってゆき、七~九日目には発疹が化膿し、膿疱となることによって再度四〇度以上の高熱を発する。ここでは、この膿疱が眼の周囲に発現して瞼を開くことが著しく困難となった様態を言っている。本文ではその症状を「まどのおりる」と表現していることから、表題は「まど」が降りないようにする呪い、という意味である。
・「動膿」岩波のカリフォルニア大学バークレー校版では『勧膿』とあり、長谷川氏は『貫膿。疱瘡の症状がさかりを過ぎること』と注されておられる。香月啓益(かづきけいえき)の「小児必用養育艸」(寛政十(一七九八)年刊)などの叙述を見ると、
◯貫膿の時節手にてなづるに皮軟にして皺む者は惡し
◯貫膿の時節にいたりても痘の色紅なるものは血貫熱毒の症なり必紫色に變じ後には黒色になりて死するなり
◯貫膿の時にいたりて惣身はいづれもよく膿をもつといへ共ひとり天庭天庭とは眉の上の類の眞中をいふ也の所貫膿せざるは惡症なり必變して死にいたるなり
◯貫膿の時痘瘡よくはれ起りて見ゆれ共其中水多くして膿すくなく痘の勢脹起に似たる者は極めて惡症なりこれを庸醫は大形よき勢の症と心得て油斷して多くは變して死するにいたる能々心得へき事なり
◯貫膿の時節面目の腫早くしりぞき瘡陷り膿少きものは惡し惣じて痘の病人の顏の地腫はやく減事は惡症なり痂落て後までも地腫ありて漸々に減ものを吉とす
等とあり、膿疱化が起こってやや熱が下がった状態のことを言っているようであり、これを過ぎたからと言って、その膿疱や皮膚の状態によっては死に至ることもあることが分かる(以上は奈良女子大学所蔵資料電子画像集にある当該書の長志珠絵氏の翻刻文を正字化して示した)
・「天一水」は「天、一水」と切って読むべきところである。
■やぶちゃん現代語訳
疱瘡の病人の窓の降りぬようにする呪いの事
疱瘡に罹った小児が、発疹の数多く発して、俗に「窓が降りる」と呼んで、眼が開きにくくなることがある。
特に発疹の数が殊の外多く、貫膿の病相に至っても、未だ目が開きにくいようだと思わるる際には、その家の主人が、明け方、自ら井戸の水を汲んで、その病人の枕元へ茶碗のようなものに入れて上から釣っておけば、さすれば以降、窓の降りるということは、これ、御座ない。
謂わば、『天、一水を以って火毒を鎮むる』と申す理屈でも御座ろうか。
「……発疹の数が多いほど、その器の水は、格別に減ってゆきまする。確かに眼の当たりに見て御座る。……」
とは、私の元へ参る医師の物語で御座った。