耳嚢 巻之五 奇物浪による事
奇物浪による事
何れの浦にてや、岩の間に檝(かい)の束(つか)の折たるありしを、漁人取揚て所持せしを、道具商ふ男買求めて、桂隱し抔になさば佳ならんと、松平京兆(けいてう)公の許へ持參せしが、最初は泥に染て何とも分らざりしを洗磨(あらひみがき)て見れば、檝の束には違なきが其木品はたがやさんと見へ、年を經たる故木目の樣子、木肌の鹽梅、誠に殊勝成品也。道具屋淺黄の服紗に入、銘など書て所々持歩て高價を求ると、京兆の物語なり。
□やぶちゃん注
○前項連関:浦と浪で縁語のように浦辺の舞台で軽く連関。牽強付会なら、漂着物は漂着神であり「まれびと」であるから、二つ前の「怪病の沙汰にて果福を得し事」の「まろふど」とも繋がる……が……ビーチ・コーミングで、そう容易くは、ニライカナイの贈り物を貰えるとは……限らぬぞぇ……
・「檝の束」「檝」は「かじ」とも読み、舵の他、艪(ろ)や櫂(かい)等の意をも持つ。「束」は握りの部分。柄(つか)。特に読みの決め手はないが、暫く岩波版の長谷川氏の読みに従っておく。但し、岩波のカリフォルニア大学バークレー校版での漢字表記は『※』(「※」=「檝」-「木」+「舟」)である。
・「桂隱し」柱掛け。柱に掛けて装飾とするもの。竹・板・陶器・金属等で作り、多くは書画を描く。
・「松平京兆」松平右京太夫輝高(享保一〇(一七二五)年~天明元(一七八一)年)。上野国高崎藩藩主。寺社奉行・大坂城代・京都所司代を歴任、宝暦八(一七五八)年に老中。官位は周防守、佐渡守、因幡守、右京亮、最終官位は従四位下の侍従で右京大夫。安永八(一七七九)年、老中首座松平武元死去に伴い老中首座及び慣例であった勝手掛も兼ねた。「京兆」は「京兆の尹(いん)」で左京大夫・右京大夫の唐名。「卷之一」に複数回既出するニュース・ソースであるが、没年から考えると、執筆推定下限の寛政九(一七九七)年春からは凡そ二十年前のやや古い話である。
・「たがやさん」「卷之四」の「産物者間違の事 又」に既出。「鐵木」「鉄刀木」と呼ばれたマメ目ジャケツイバラ科センナ属タガヤサン
Senna siamea のことと思われる。東南アジア原産で、本邦では唐木の代表的な銘木として珍重された。材質硬く、耐久性があるが加工は難。柾目として使用する際には独特の美しい木目が見られる。他にも現在、幹が鉄のように固いか、若しくは密度が高く重い樹木としてテツボク(鉄木)と和名に含むものに、最も重い木材として知られるキントラノオ目科セイロンテツボク
Mesua ferrea・クスノキ科ボルネオテツボク(ウリン)
Eusideroxylon zwageri・マメ科タイヘイヨウテツボク(タシロマメ)Intsia bijuga が確認出来るが(これらは総て英語版ウィキの分類項目を視認したものだが、どれも種としては縁が遠いことが分かる)、これは英名の“Ironwood”の和訳名で、新しいものであるようだ。……さて……にしても……根岸はここで、なあんにも、言ってないんだけど……「産物者間違の事 又」をも一度ようく、読んでみるとだな……本話の、これ……「たがたやさん」で、のうて……「あらめの根(ねえ)」のような、気が……儂(あっし)はしてくるんじゃ……もしや……松平さま、わざとやらかされたのでは……御座いますまいのぅ?……♪ふふふ♪……
■やぶちゃん現代語訳
奇物の波に寄って打ち上げらるる事
何処(いずく)の浜なるや、岩の間に櫂(かい)の柄(つか)の折れたが喰い込んであったを、漁師が見つけて引き上げ、何とのう所持致いておったを、回村して出物を物色致いておった道具屋が目を留めて買い取り、
「柱隠しなんどに致しまするならば、これ、佳品にては御座いませぬか。」
と松平京兆(けいちょう)輝高殿の元へ持参致いたと申す。
京兆殿の曰く、
「……見せられた当初は、泥に汚れて、これ、何ものとも分からぬ代物で御座った故、取り敢えず、その場で洗って磨いてみたところが……確かに櫂の柄には違い御座らねど……その材質は、かの銘木タガヤサンと思われての……歳月を重ねたる木目の様子と申し、木肌の塩梅と申し、これ、いや、まことに高雅にして、とりわけ勝れた逸品にて御座った。……されば、かの道具屋、慌てて我らより取り戻いての、大事大事と浅黄の袱紗(ふくさ)に包み入れ、銘なんどまで書いては、あっちゃこっちへ持て歩(あり)き致いては、高値を払わんと申す御仁を、これ、求めて御座るらしい。……♪ふふふ♪……」
とは、京兆殿御自身の物語で御座った。……♪ふふふ♪……
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