ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q 雑感
〇冒頭の使徒を納めている容器の形状は99%、サルバドール・ダリの“Crucifixion ('Hypercubic Body')”(「超立方体的人体/磔刑」1954年)の浮遊するキリストの背後に同じく浮遊する立方体の十字架がモデルであること。
http://www.artchive.com/artchive/d/dali/crucifix.jpg
〇庵野秀明は正しくアニメーションをアニメーションとしての芸術に高め、宮崎駿は過去の映画芸術に出来ることはアニメ―ションに出来ないはずはないというおぞましい驕りの中で完膚なきまでに踏み誤った(「もののけ姫」の始めの方に現われるカメラのパンの様な見るもおぞましい汚い画像を想起せよ! 今回の「Q」は勿論、過去の庵野の作品にあんな「汚い画像」は一枚もないはずである。「汚い」とは『道徳』を意味するのではない。純粋な審美的意味での「汚い」である!)ということ。[やぶちゃん注:以前にも述べたが、私は手塚治虫先生の追悼文の中で先生を完膚なきまでに批判した宮崎を永遠に許さないが、私のこの宮崎批判はそうした感情の埒外にある極めて技術的な批評である。]
〇シンジはますます情けなく、アスカはますます肝っ玉母さん化し、レイはクローン初期化によってますますレイの魅力を新たにしていること。
〇シークエンスの性質及びストーリーを進行させる関係上、核になる女性陣の感情表現が著しく減衰していること(これは恐らくファンにとってはやや期待外れなのではないかと思われる――私がファンならそう感ずる――ということ)。
〇僕は実は映画版の二作目を見ていないのだが――それ故に――14年後に覚醒したシンジの「わけわかんないよ!」という気持ちと一体化して実に素直に観れたということ。
〇10年以上前から僕はイカリシンジ=ヒカルゲンジ説を述べてきたが――一向に支持者がない――しかし――13号機を操縦する“ゼーレの少年”の名前は渚カヲルだ――だからね、やっぱり――イカリシンジ=ヒカルゲンジなんだって――ということ。
附・これを僕に誘ってくれた“ゼーレの少年”――ヨシユキとノリヒコ――へ――“Here's looking at you, kid!”――君の瞳に乾杯!