芥川龍之介漢詩全集 十四
十四
即今空自覺
四十九年非
皓首吟秋霽
蒼天一鶴飛
〇やぶちゃん訓読
即今 空しく自覺す
四十九年 非なるを
皓首(かうしゆ) 秋霽(しうせい)を吟じ
蒼天 一鶴 飛ぶ
[やぶちゃん注:龍之介満二十五歳。この九月一日に龍之介は海軍機関学校への通勤の便から下宿を横須賀市汐入に移している。この前後、同僚の佐野慶造・花子夫妻との交流が深まっているが、私はこの佐野花子なる女性に対して龍之介は、ある種の恋愛感情を持っていたと確信している。彼女については多くの評者は、これを後の彼女の神経症的な思い込みに過ぎないと切り捨てているが、私はそうは思わないのである。「月光の女」以下、数篇の私のブログでの考察をお読み頂けると幸いである。
この漢詩は二つの書簡に同じものが載る。一つは、
Ⅰ 大正六(一九一七)年八月二十一日附菅虎雄宛(岩波版旧全集書簡番号三一一)
今一つは、前の(十三)乙を併載する(本詩を先に記す)、
Ⅱ 大正六(一九一七)年九月四日附井川恭宛(岩波版旧全集書簡番号三一七)
である。Ⅰの宛名人菅虎雄(元治元(一八六四)年~昭和一八(一九四三)年)はドイツ語学者。五高教授であった時、親友夏目漱石を招聘した。明治三四(一九〇一)年一高教授となり、その時の教え子に芥川竜之介や菊池寛らがいた。号を無為・白雲・陵雲などという能書家としても知られ、漱石の墓碑銘や芥川の「羅生門」の題字、芥川自宅書斎の「我鬼窟」の扁額なども彼の筆になる。龍之介より二十八歳年上の恩師である。当時、満五十三歳。
菅へのⅠには、
こなひだ迄原稿で忙しうございましたが今は甚泰平な日を送つて居ります詩を一つつくりましたから御笑覧に入れませう
として本詩を示し、
二十六年の非では引立ちませんから少々かけ値をして四十九年と致しました勿論皓首と申す程白髮などはございません鶴は私の宅の近所へよく來る白鷺を少し高尚にしたのでございます 頓首
とある。一方、盟友井川宛てのⅡには、手紙末に本詩を二段組で配し、承句の上に右に向かって音楽記号のスラーのような丸括弧を打って、句の右側に、
二十六年非ぢや平仄が合はない
と記して、菅宛とは異なった技術的な弁解を述べている(こっちが事実らしく見える)。その後に、
隱情盛な時に作つた詩だから、特に書き添へる 序にもう一つ
と書いて、(十三)乙が示されている。但し、その文面は(十三)甲の短い添書きと比すと雰囲気に遙かにゆとりが感じられるように思われる。その微妙な変化がこの詩にも反映しているようにも私には思えるのだが、如何か?……しかし……別な意味で、私はこの詩が気になるのである。……「四十九」は……本当に平仄や箔附けのつもりだったのだろうか? 龍之介は実際、この瞬間に自身の二十三年後(数え)の姿を幻視してはいなかったろうか? 僅か十年の後の同じ夏に、自らが自らの命を絶って、幽冥界の蒼天へと一羽の鶴の如く飛び去ってゆくことを……知らなかったにしても……。
「皓首」白髪頭。
「秋霽」秋の雨後の雲霧が晴れすっきりと晴れ渡ること。邱氏は『秋の虹』と注されているが、雨後の快晴なら虹も立つとは言えようが、「廣漢和辭典」にもそのような意味は「霽」に載らず、採らない。]
« 北條九代記 賴朝卿奥入付泰衡滅亡 パート8〈泰衡斬られ〉 了 | トップページ | 生物學講話 丘淺次郎 第五章 食はれぬ法 四 嚇かすこと~(2) »