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2012/12/27

鎌倉日記(德川光圀歴覽記) 亀井坂/長寿寺/管領屋敷/明月院/禅興寺

 七日源敬公ノ月忌ナル故、早晨ニ光明寺ノ衆僧ヲ招キ齋饌ス。齋シ畢テ卯刻ニ及テ庵ヲ出、東北ノ方へ行。

[やぶちゃん注:現在の亀ヶ谷坂。「源敬公」右に光圀自身による『尾張大納言義直公ノ道號也』という傍注が附されている。これは家康の九男、尾張藩初代藩主徳川義直(慶長五(一六〇一)年~慶安三(一六五〇)年五月七日)のこと。光圀の父徳川頼房は家康の十一男であるから、伯父に当たる。]

  

 

   龜 井 坂

 淨光明寺ノ北東ニアリ。此地ヲ龜井谷ト云。龜井坂ノ入口ニ勝榮寺ト云寺ノ跡アリ。

[やぶちゃん注:「勝榮寺」「鎌倉廃寺事典」に禅宗で所在地未詳とする。元応元(一三一九)年に北条貞時夫人覚海緣成尼の強請により、夢窓疎石が当時に寓したことが「夢窓国師年譜」にあるのが最古の記録で、後には建長寺正統庵の末寺となり、廃年は未詳とする。]

 

   長 壽 寺

 龜井坂ノ下ニアリ。建長寺ノ末寺、尊氏ノ建立也。尊氏ヲ長壽寺殿ト云。束帶ノ影像アリ。

 

   官領屋敷

 明月院ノ馬場ノ南隣ノ畠也。

[やぶちゃん注:「官領屋敷」の「官」は「管」の誤り。]

 

   明 月 院

 龜井坂ノ東北ナリ。建長寺ノ首塔頭也。高嶽院ト明月院ト建長寺ヲ輪番ニ勤ル也。上杉安房守憲方建立、法名道合明月院ト號ス。開山密室禪師、諱ハ守嚴、大覺ノ孫弟子也。密室ノ木像アリ。建長寺百貫ノ御朱印ノ内ニテ、三十一貫文此寺ニ附スト也。

 寺寶

 指月和尚畫像       一幅

 二十八祖唐繪       一大幅ニ畫ス

 趙昌畫          三幅對

 〔中ハ鶴ニ岩木、左右ハ種々ノ牡丹花、細字ニ牡丹ノ名ヲソレゾレニ書付ル。〕

 徽宗鳩畫         一幅

 仲峯自畫自讚       一幅

 〔贊云、天目山下不遠、遠山有眉※、要識幻住眞、畫圖難辨別、春滿錢塘潮、秋湧西湖月、覿面不相瞞、也是眼中屑、遠山華居士冩幻影、請汚老幻、旧本信筆。今ノ住持長老碩岷曰、仲峯國師名ハ明本和尚ト云、旧ハ明ノ字ナルべシト云。〕

[やぶちゃん注:「※」=「目」+「健」。但し、「新編鎌倉志卷之三」の当該項では「睫」である。「旧」は文脈から正字「舊」とはしなかった。]

 布袋木像         一體〔運慶作、極テ奇ナリ。〕

 源義經守ノ佛舍利

 藕絲九條袈裟       一ツ

  黄龍ヨリ千光へ傳へ、千光ヨリ大覺へ傳ルト云。

 氏滿在判ノ明月院地圖   一枚

寺内ニ織田三五郎長好ガ寺トテ、長好院ト云アリシガ、今ハ破レ亡ヌ。其跡トテモナシ。長好院ノ名寶モ皆他所へ散ズト也。明月院ノ寶物モ古ハ多カリシガ、今ハ散失シテ此外ハナシト云。庭除ノ風景殊ニ勝レタリ。方丈ノ西北ニ上杉憲方ガ石塔ノ岩室アリ。十大羅漢ヲ切付タリ。其東ノ畠、古ノ明月院ノ遺跡也トゾ。明月院前住、寛文十二年子ノ十月ニ卒ス。遺偈ノ寫シ。

  建長前住大年寛和尚遺偈、示寂八十一歳、十月廿九日、滅却正法驀直現出、白日靑天寒風拂地

[やぶちゃん注:「寛文十二年」西暦一六七二年。この「大年寛和尚」なる人物と遺偈については「新編鎌倉志卷之三」には不載。この偈の「驀直」は禅語では「まくじき」と読み、真っ直ぐに、の意である。何故、この最近の住持の遺蹟を光圀が記したのか不詳であるが、どうも、現住職碩岷に見せられた、この前住の偈自体に光圀は打たれたのではあるまいか。なお、建長寺絡みでは検索で大年碩寛なる人物の名前だけが検索で引っ掛かるが、現住の「碩岷」という名といい、本人の「大年寛和尚」という名といい、何となく気になる。識者の御教授を乞う。]

 

   禪 興 寺

 明月院ノ門ノ北ニアリ。本ハ十刹ノ第一ナリシガ、今ハ頽破シテ、僅ニ古ノ堂バカリ殘テ、明月院ノ持分也。福源山ト號ス。平時賴建立。開山大覺禪師也。最明寺崇公禪門覺靈トアル位牌アリ。蘭溪ノ付ラレタルト云。筆者モ蘭溪カ或ハホウリンカト云。

 最明寺建立故ニ寺ヲ最明寺トモ云。本尊ハ釋迦、首ハ惠心作ナリト云。

 寺寶

 伊達天像           一軀 運慶作

 蜀大帝像           一軀

 地藏像            一軀 運慶作

 土 佛            一軀 隆蘭溪作

 上杉重房木像         一軀

 北條時宗・時賴木像      二軀

 大覺禪師木像         一軀

 〔傍ニ開山建長大覺禪師ノ坐ト書付シ位牌アリ。大覺ノ自筆ト云。〕

[やぶちゃん注:「伊達天」は「韋駄天」の誤り。

「蜀大帝」は関羽のことか。]

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