一言芳談 四十五
四十五
敬佛房云、後世者(ごせしや)はいつも旅にいでたる思ひに住するなり。雲のはて、海のはてに行(ゆく)とも、此身のあらんかぎりは、かたのごとくの衣食住所なくてはかなふべからざれども、執(しふ)すると執せざるとの事のほかにかはりたるなり。つねに一夜のやどりにして、始終のすみかにあらずと存ずるには、さはりなく念佛の申さるゝ也。
いたづらに、野外にすつる身を、出離のためにすてゝ、寒熱(かんねつ)にも病患(びやうげん)にもをかさるゝは、有がたき一期(いちご)のおもひ出かなと、よろこぶ樣なる人のありがたきなり。
〇始終のすみかにあらず、十因云、實一生假棲、豈期永代乎。
世の中はとてもかくてもおなじこと、宮も藁屋もはてしなければ。
〇よろこぶやうなる人のありがたきなり、身命を惜しまぬ人、世にまれなり。
[やぶちゃん注:「つねに一夜のやどりにして」私なら次の発句を示して注としたい。
世にふるも更に時雨のやどりかな 宗祇
世にふるも更に宗祇のやどりかな 芭蕉
「野外にすつる」Ⅱの大橋氏は脚注で、『風葬(曝葬)のたぐい。』とされ、「一言芳談句解」に『いたづらに野外にすつるとは、鳥べ山のけぶり、立去らぬ共云、かゝらん後は何にかはせんと、みさゝぎ(陵)をなげきし心なり』とある、とする。
「十因云、實一生假棲、豈期永代乎。」Ⅰの訓点を参考にしながら訓読すると、
十因に云く、實(げ)に一生は假の棲か、豈に永代を期(ご)せんや
となる。「十因」は「往生拾因」。平安後期の三論宗の東大寺僧侶、永観(ようかん 長元六(一〇三三)年~天永二(一一一一)年)の撰。一巻。念仏が決定往生の行であることを十種の理由(因)をあげて証明し、一心に阿弥陀仏を称念すれば、必ず往生を得ると明かした書で、法然の専修念仏の先駆として注目される。Ⅱの大橋注では「一實に一生は假の棲」となっている(正字化して示した)が、電子化されたそれで確認すると、同書の「序」にある言葉で「籠石室人 終遭別離之歎。實一生假棲 豈期永代乎。而今倩思 受何病招何死哉。重病惡死一何痛哉。」である(正字化した)。
「世の中はとてもかくてもおなじこと、宮も藁屋もはてしなければ」は「新古今和歌集」の蝉丸(生没年不詳。平安前期の歌人にして隠者)の和歌(一八五一番歌)。
世の中はとてもかくても同じこと宮も藁屋もはてしなければ
「はてしなければ」は「結局、最後にはなくなってしまうのだから」の意。諸本に載るが、第三句を、
世の中はとてもかくてもありぬべし宮も藁屋もはてしなければ
世の中はとてもかくてもすぐしてむ宮も藁屋もはてしなければ
とする本が少なくない(水垣氏の「やまとうた」の「蝉丸」を参考にした)。]
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