フォト

カテゴリー

The Picture of Dorian Gray

  • Sans Souci
    畢竟惨めなる自身の肖像

Alice's Adventures in Wonderland

  • ふぅむ♡
    僕の三女アリスのアルバム

忘れ得ぬ人々:写真版

  • 縄文の母子像 後影
    ブログ・カテゴリの「忘れ得ぬ人々」の写真版

Exlibris Puer Eternus

  • 僕の愛する「にゃん」
    僕が立ち止まって振り向いた君のArt

SCULPTING IN TIME

  • 熊野波速玉大社牛王符
    写真帖とコレクションから

Pierre Bonnard Histoires Naturelles

  • 樹々の一家   Une famille d'arbres
    Jules Renard “Histoires Naturelles”の Pierre Bonnard に拠る全挿絵 岸田国士訳本文は以下 http://yab.o.oo7.jp/haku.html

僕の視線の中のCaspar David Friedrich

  • 海辺の月の出(部分)
    1996年ドイツにて撮影

シリエトク日記写真版

  • 地の涯の岬
    2010年8月1日~5日の知床旅情(2010年8月8日~16日のブログ「シリエトク日記」他全18篇を参照されたい)

氷國絶佳瀧篇

  • Gullfoss
    2008年8月9日~18日のアイスランド瀧紀行(2008年8月19日~21日のブログ「氷國絶佳」全11篇を参照されたい)

Air de Tasmania

  • タスマニアの幸せなコバヤシチヨジ
    2007年12月23~30日 タスマニアにて (2008年1月1日及び2日のブログ「タスマニア紀行」全8篇を参照されたい)

僕の見た三丁目の夕日

  • blog-2007-7-29
    遠き日の僕の絵日記から

サイト増設コンテンツ及びブログ掲載の特異点テクスト等一覧(2008年1月以降)

無料ブログはココログ

« 生物學講話 丘淺次郎 第六章 詐欺 一 色の僞り~(1) | トップページ | 鎌倉日記(德川光圀歴覽記) 荒井閻魔/景政石塔/下若宮/裸地蔵/畠山石塔 »

2012/12/10

耳嚢 巻之五 堪忍工夫の事

 堪忍工夫の事

 

 或老巧の人、予が若かりし時教戒しけるは、男子人と交るに、大勢の内には其(その)身を不知(しらざる)愚昧も多く、跡先知らぬ血氣者も有りて、人前にて人を恥しめ不法不禮をなす者も有り、かゝる時は身命(しんみやう)も不顧(かへりみざる)程憤りをも生ずるもの也、しかあれど兼て君に捧げ置(おく)身命を私の憤りに果すは不忠の第一也、又父母の遺體をなんぞ一朝の戲(たはむれ)同樣成(なる)事に捨(すて)ん事、不孝の第一也。されど憤りはげしければ其心附(こころづき)もなき者也(なり)、其時は右惡口不法をなす者を能々考見(かんがへみる)べし、身を不知(しらざる)大馬鹿大たわけ也、かゝる馬鹿たわけと身を果さん彌々(いよいよ)たわけ成(なる)べしとはやく決斷なせば、憤りも生ぜず堪忍もなるもの也と語りしが、實(げに)も格言なりと今に思ひ出す也。

 

□やぶちゃん注

○前項連関:これはもう、前項の個別事例から帰納した原理の提示である。

・「父母の遺體」父母から受けたこの体、自分の身体のことである。

 

■やぶちゃん現代語訳

 

 堪忍の工夫の事

 

 私が若かりし頃、とある老練なる御仁が教えて下されたことに、

「――男子たるもの、人と交わるに、その大勢の内には、身の程も知らぬ愚か者も、これ、多く、後先(あとさき)どうなるかも慮(おもんぱか)ることの出来ぬ血気盛んなばかりが取り柄の者もこれあって、また、人前にて他人を辱め、不法無礼をなす者どもも、これ、おるものじゃ。……

……そういう連中と、拠無(よんどころの)う交わってしもうた折りには、これ、身命(しんみょう)を顧みる余裕もなきほどに憤りを感ずるものでは、ある。……

……そうは申してもじゃ……よいか?

――かねてより主君に捧げおける己(おの)が身命――これを「私(わたくし)」の憤り如きがために、果つるというは、これ、不忠の第一じゃ。……

――また、父母より受けた有り難いこの体を――なんぞ、一時(いっとき)の戯れ同様の下らぬことに捨てんとするも、これ、不孝の第一じゃ。……

……されど……憤りが激しければ激しいほどに……そのような落ち着いた見極めや心遣いも、これ、出来んようになる。……

……そういう折りには……よいか?

――その悪口、その無法をなす者を、よーうく、見、よーうく、考えるが、よい。……

――『そういう輩は、身の程を知らぬ大馬鹿、大戯(おおたわ)けじゃ!』

――『そうした馬鹿やたわけがために、我らが大事の身を、これ、果つることは――これ、そ奴よりも遙かに――いよいよ! 大々たわけじゃ!』

……ということ、これ、早々に知り遂(おお)せばの……憤りも生ぜず……堪忍出来ようと、いうもの、じゃて。……」

との話にて御座った。

 全く以って正しき格言であると、私は今もしばしばそれを思い出すのである。

« 生物學講話 丘淺次郎 第六章 詐欺 一 色の僞り~(1) | トップページ | 鎌倉日記(德川光圀歴覽記) 荒井閻魔/景政石塔/下若宮/裸地蔵/畠山石塔 »