一言芳談 三十二
三十二
禪勝房云、故上人の教(をしへ)あり。たとひ余事(よのこと)をいとなむとも、念佛しゝこれをするおもひあるべき也。余事をしゝ念佛せんと思ふべからず。
〇故上人、是も法然上人なり。
[やぶちゃん注:大橋俊雄・吉本隆明『死のエピグラム 「一言芳談」を読む』の注によれば、この法然の言葉も「法然上人行所絵図」の第二十一に所収する由。Ⅰでは「安心」の類にあるが、この四条前に「故上人」として「一二二」が載り、その中に「故上人」の語があることを受けて註の冒頭「是も」と言っているのである。
「禪勝房」(承安四(一一七四)年~正嘉二(一二五八)年)俗称不詳。遠江生。初め天台僧であったが二十九歳の頃、蓮生(れんじょう:武将熊谷直実の出家後の法名。)の説法を聴いて上洛、蓮生の師法然の弟子となった。そこで往生の確信を得た後、郷里の蓮花寺(静岡県周智郡森町大門にある天台宗の古刹)に帰って第七十二代住職となるが、そこで番匠となり、念仏と教化をしつつ、大工としても実業面で民衆を指導したと伝える(以上は講談社「日本人名大辞典」と大橋氏の注その他ネット上の情報を参考にした)。本話の謂いは、「専業僧」であった法然の直接話法ではなく、まさにこの禪勝房の口から間接話法で聴聞して初めて、腑に落ちる。――鑿(のみ)一鑿(さく)、杮一片に念仏する禪勝房の姿が、見えるではないか。――
「しゝ」これは厄介だ。これは「~しながら」と訳せばよいように見える。大橋氏もそう訳しておられる。一応、サ変動詞「す」の連用形「し」を重ねた、「す」(する)動作を連続して「す」(する)と、とればよいのであろうが、果たしてそれを「~しながら」の意でとってよいかどうか、そういう一般的用法を中世の人が行ったかどうか、という点で私には疑問の余地が残るからである。恐らく多くの方はこれを「しいしい」と同義であるととられるかも知れない。しかし、我々の用いる「しいしい」というのは、近・現代語のサ変動詞「する」の連用形「し」を重ねた強調形「しし」の転訛したもので、中世にあった可能性は低い(古語辞典等に所載しない)。それとは別にサ変連用形を重ねて「~しながら」の意味がなかったとは言えないが、相当する見出しを、やはり諸辞書には見出せない(「しし」はあるが、これは嘲笑・追っ払い・制止をする際の感動詞「し」を重ねた感動詞「しいしい」(先払いや呼びかけ)の更なる転訛であって、現在の「しいしい」とは全く異なる)。私は寧ろ、この「し」は、名詞・活用語の連体形及び連用形・副詞・助詞などに付いて、上の語を強調する意を表す副助詞ではないかと思う。即ち「伊勢物語」の「から衣きつつなれにしつましあればはるばるきぬる旅をしぞ思ふ」の「し」である。即ち、「こそ」「さえ」「だけは」「ばかり」の謂いである。私の訳を試みたい。
禪勝房曰く、
「……故上人の教えが御座る。
――たとえ「他(ほか)のことをする」時であっても、これ常に、『「念仏をする」ということだけはこれを「する」という絶対の覚悟』の中で「他のことをする」のでなくてはならぬ。その逆に、「他のことをする」ことばかりに心が執着し、心の中に、ふっと、口ばかりの念仏を唱えておればよい、といった念仏を軽んじる緩みが、一瞬でも生じるようなことがあっては、これ、ならぬ。――
と。」
但し、この副助詞「し」は上代に多用されたが、中古以降は「し~ば」「しも」「しは」「しぞ」といった他の助詞と複合した形で用いられるようになってしまうから、この用法は逆に時代遅れとも言えよう。それでも、現代語の「しいしい」から逆照射して「~しながら」と訳すという暴挙(としか私には思われない)よりはましなように私には思われるのであるが如何であろう? 私は国語学に暗い(というより「嫌い」から「暗い」とするのが正しい)ので、とんでもない馬鹿なことを言っているのやも知れぬ。識者の御教授を乞うものである。]