耳囊 卷之五 狐を助け鯉を得し事
狐を助け鯉を得し事
大久保淸左衞門といへる御番衆、豐嶋川附神谷といへる所の漁師を雇ひて網を打せけるが、甚(はなはだ)不獵にて晝過(すぎ)になれど魚を不得(えず)、酒抔吞(のみ)て居たりしに、野狐(やこ)一疋犬に追れけるや、一さんに駈來(かけきた)りて船の内へ飛入(とびいり)つくばひ居(をり)ける故、淸左衞門を始(はじめ)不獵にはあり、此狐を縛りて家土產(いへづと)に連(つれ)歸らんとひしめきしを、船頭漁師深く止めて、狐は稻を守る神のつかわしめ、何も科なきものを折檻なし給ふは無益也(なり)、迯(にが)し給へとて達(たつ)て乞ひける故、則(すなはち)其邊へ船を寄せ、放し遣しければ悅びて立去りしが、獵師さらば日も暮なんとす、一網打(うち)てみんと網を入れしに、三年ものとも云べき大きなる鯉を打得し由。是は彼狐の謝禮成(なる)べし、今一網打んと望ければ、彼(かの)獵師答へて、かゝる奇獵を得し時は再遍(さいへん)はせざるもの也、免(ゆる)し給へ迚(とて)其後は網をうたざりしと也。
□やぶちゃん注
○前項連関:一つ隔てて稲荷譚の打ち止め。
・「大久保淸左衞門」大久保淸右衞門忠寄(享保一五(一七三〇)年~?)の誤り。底本鈴木氏注に寛保二(一七四二)年に十三歳で相続、岩波長谷川氏注に『宝暦五年(一七五五)大番』とあるから、そう新しい話ではない。
・「豐嶋川附神谷」旧東京都北豊島郡に神谷(かにわ)村があった。現在の北区神谷町、王子神谷辺り。落語「王子の狐」で知られるように、直近の南方にある王子稲荷(北区岸町)の狐は昔から人を化かすことで有名であった。「附」は「つき」と読むか。
■やぶちゃん現代語訳
狐を助けて鯉を得た事
大久保清左衛門と申される御番衆(ごばんしゅう)、豊島川附神谷(としまがわつきかにわ)と申すところで川漁師を雇って、早朝より網を打たせて御座った。
ところが、これ、全くの不漁にて、昼過ぎになっても一匹も釣果、これ、御座ない。
自棄(やけ)になって酒なんどを煽(あお)っておったところが、野狐(のぎつね)が犬にでも追われたものか、一散に走り込んで来たかと思うと、彼らの舟の内に飛び込んで、船底に這い蹲っては、震えて御座った。
これを見た清左衛門殿を始めとする御家来衆一同、不漁にてもあればこそ、
「――丁度よいわ。この狐を縛って家苞(いえづと)に連れ帰り、狐鍋にでも、致そうぞ。」
と盛んに囃して御座った。
ところが、船頭と漁師は、神妙なる顔つきとなってそれを押し留め、
「……狐は稲を守る神の使いと申しまする。……何の罪もなきものを折檻なし給うは、これ、あまりに無益なること。……どうか一つ、我らに免じて、逃がしてやって下さりませ。……」
と口を揃えてのたっての望みなれば、そのまま近くの岸辺へ舟を寄せ、うち放してやると、かの狐は、ひどく嬉しげに走り去って御座ったと申す。
さても、漁師、
「……されば、もう日も暮れましょうほどに、最後に一網打ってみましょうぞ。」
と網を入れたところが――
――これ、三年ものとも申すべき大きなる鯉――釣り上げて御座ったと申す。
「……これはこれは! さては、かの狐の謝礼ならん!……今一網、打ってみよ!」
と大久保殿が命じたところ、かの漁師、
「……かかる奇瑞(きずい)の漁を得た折りは……これ、二度とは、網打ち致さぬものにて御座れば……どうか、ここは、ご勘弁のほどを……」
と切に乞うた故、その後(のち)は、網を打たずに帰った、とのことで御座る。