耳嚢 巻之五 疱瘡呪水の事
疱瘡呪水の事
寛政八年の冬より九年の春へ懸け疱瘡流行なして、予が許の小兒も疱瘡ありしが、兼て委任なし置る小兒科木村元長來りて、此頃去る方へ至り其一家の小兒不殘(のこらず)疱瘡なりしが何れも輕く、重きも足抔へ多く出來て面部等は甚少き故、かく揃ひて輕きも珍らしきといひしに、外に子細もなけれど、神奈川宿の先きに本目(ほんもく)といへる処に、芋(いも)大明神といへるあり、彼(かの)池の水を取て小兒に浴すれば疱瘡輕しと人の教に任せし故にやと語りしが、醫の申べき事ならねど、害なき事故呪(まじな)ひもなき事にもあるまじき間、試み給へかしと語りける故、召仕(めしつか)ふ者に申付(まうしつ)け取に遣りしが、右召仕ふ人歸り語りけるは、誠に聊(いささか)の祠(やしろ)にて、廻りに少しの溜水(たまりみづ)といふべき池ありて、嶋少し有(あり)て柳一株の外は不殘(のこらず)芋にて、右芋土の内より出て居、正月の事なるに未(いまだ)莖葉のあるも有(あり)、別當ともいふべきは、右池の邊に庵室ありて禪僧一人居たりしが、右社頭に緣起もなし、疱瘡に能(よき)とて度々水を取りに來る者は夥敷(おびただしき)事のよし、利益(りやく)ありや知らずと禪氣の答へ也し、近隣の老姥(らううば)右召仕ふ者に語りけるは、右芋は彼(かの)姥が若かりし時より減りもせずふへもせず有(ある)由。或る人疱瘡に水よりは芋こそ然るべしと右芋を取りしに、かの小兒甚(はなはだ)惱みけると語りし由。江戸よりも水を取に來る者數多(あまた)の由語りける由。右召仕ふ者語りける也。
□やぶちゃん注
○前項連関:疱瘡呪い三連発。題名の「呪水」は「じゆすい(じゅすい)」と音で読んでいよう。但し、この元長の話の最初に現われる一家の子供たちの病態は、実は天然痘ではなかった可能性が疑われる。その理由は、児童全員がほぼ軽症である点(小児科の専門医が流行期に「いづれも輕く」「かく揃ひて輕きも珍らしき」と表現するのは、文字通り驚くほど、信じられないほど軽いという意味である)、やや重いように見える児童でも、その発疹(ここ、「瘡」と言っていない。前の驚くべき軽症という表現を受けるなら、これは膿疱にさえなっていないという意で採るのがよかろう)が頭部や面部に少なく足に特異的に現われているという点である。所謂、感染性の高い風疹や(風疹ではしかし発疹や瘡が頭部・面部に特異的に現われる)、もしかすると単なるアレルギー性の蕁麻疹の集団罹患(一同が摂取した飲食物若しくは着用した衣類等、または戸外の遊びの中で接触した動植物由来のアレルゲンに起因するところの)ではなかろうか? 小児科医の方の御教授を乞うものである。
・「本目」現在の横浜市中区本牧。
・「芋大明神」不詳。同定候補としては吾妻明神社、現在の横浜市中区本牧原に吾妻神社がある。しかし、「江戸名所図会」の「吾妻明神社」の項などにも芋明神の名は載らない。横浜の郷土史研究家の御教授を乞うものである。なお、この後の実景に出て来る「芋」は里芋であるが、「痘痕」と書いて「いも」と読み、痘瘡(天然痘)自体及び痘瘡後の痘痕(あばた)のことをも指す。私はかつて、この神社の山の上にある県立横浜緑ヶ丘高校に勤務していたが、この神社の記憶は全くない。……生徒も同僚も楽しい職場だった。私の生私生活で最も充実していて幸せだったのは、ここでの九年間であったように、今、感じている……。
・「浴すれば」浴びせると訳してもよいが、「浴す」には、現在も「恩恵に浴する」のように、よいものとして身に受ける、という意があり、ここでは明神の神霊の力に浴するの謂いで、水でもあり「飲用する」と訳すのが適当であろう。後半で「水」の対象物として「芋」を用いたとあり、これは里芋を「食わした」としか読めないからでもある。但し、医師の元長が同時に、その呪(まじな)いを「害なき事故」と言っている点では、「浴びせる」と訳すべきかも知れない。何故なら、小児の感染症を予防する観点から小児が口にするものに対しては極めて敏感でなくてはならないはずの小児科医ならば、そう簡単に「害なき事故」とは断ずることはしないとも思われるからである。しかし乍ら、実は岩波のカリフォルニア大学バークレー校版では『呑(のま)すれば』となっている。さればここでは、一応、飲用させるの意で訳しておいた。
・「呪ひもなき事にもあるまじき間」十把一絡げにして呪(まじな)いは皆迷信で効果がないと断ずることは必ずしも出来ない、それなりの効験がない訳ではない、という意である。元長は必ずしも呪(まじな)いの効果を信じていた訳ではないかも知れない。所謂、鰯の頭も信心から方式のプラシーボ効果を言っているとも採れる。いや、やはり、この一家の「天然痘」の病態が余りにも尋常ならざる軽さであったことから『明神さまの効験とやらがもしかするとあるのかも知れぬ』と思わず感じたのだ、だからこそ、「試み給へかし」と命令形に念を押す終助詞を用いてまで、根岸に強く勧めたのだ、という推理の方がより自然というべきであろうか。
・「禪氣の答へ」禅機の答え。禅における無我の境地から出る働き。禅僧が修行者や他者に対して用いるところの独特の鋭い言葉や言い回しを言う。
■やぶちゃん現代語訳
疱瘡呪水の事
寛政八年の冬から九年の春にかけて疱瘡が流行り、我が家の子(こお)も疱瘡に罹患致いたが、かねてより我が家の主治医を頼みおける小児科医木村元長殿が往診して療治して呉れた。
その折り、元長殿より、
「……近頃、さるお方の元へも往診致しましたが……はい、やはり、その一家のお子たちも、残らず疱瘡に罹っておりました。……ところが……そのいずれの症状も、これ、軽う御座って……少し重い子(こお)なんどにても……足などへ発疹が多く出来てはおりましたが、面部には殆どなく、あっても極めて少のう御座った故……『かくも、揃って軽いと申すは、これ、珍しきことじゃ。』と申しましたところ、『……これと申しまして訳があろうとも思いませぬが……実は、神奈川宿の先の、本牧(ほんもく)と申す所に「芋大明神」という社(やしろ)が御座いまして――そこな池の水を採って飲ますれば、疱瘡は軽うて治まる――と人の教えに任せて……聞いて飲ませておりました。』と申します。……まあ、その、医者たる拙者が……このようなことを申すは、如何かとは存じまするが……害もなきことにては御座れば……また、呪(まじな)いの効果というも、これ――全くない――という訳にても御座らぬようでもあればこそ……一つ、お試しにならるることを、お勧め致しまする。」
とのこと故、直ぐに召し使(つこ)うておる者に申し付け、取りに遣らせたところ、水を汲んで戻ったその者の申すことには、
「……へえ、まことに小さな祠(やしろ)にて、小島の周りに少しばかりの――その、水溜まりと申す方が、これ、相応しいような――池が、これ、御座いまして、その真ん中の、如何にも小さな島には、柳一株の外、残らず、これ、里芋が生えて御座いました。その里芋は、これ皆、土から芋を出だいておりまして……正月のことなるに、未だ葉も茎も青々と残っておるものも、これ、何本も御座いました、へえ。……
……この明神の、別当とも申すべき者は――その池畔に庵室(あんじつ)が御座って、禅僧が一人住もうておりましたによって、訪ね問うてみましたところが、
『――本祠(やしろ)には縁起もなし。――疱瘡に効くとて度々水を取りに来る者は夥しきが――その利益(りやく)――あるやなしや、知らず――』
と、まあ、その、如何にも、禅僧らしい答えにては御座いました。……
……近隣の老婆にも話を聴いてみましたところ、これらの里芋は、その老婆が若かりし頃より、減りもせず、増えもせである、との由にて……そうそう、その老婆の話によれば……とある人が、
『……よどんだ水なんどよりも、かのねばりつきて精もつく里芋の……そうじゃ! 「痘痕(いも)」繋がりなればこそ! 然るべき効験もあろうほどに!』
と、かの島の里芋を掘り取って戻り、子(こお)に食わしたところが……その子(こお)の疱瘡は、これ、逆にひどう重うなって、苦しんだとか申しておりました、へえ。……江戸表よりも、水を取りに来たる者も、これ、数多(あまた)おる、とのことで御座いました、へえ。……」
以上、その遣わしたところの召し使(つこ)うておる者の、直談で御座る。