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2012/12/22

鎌倉日記(德川光圀歴覽記) 江嶋~(1)

   江 嶋〔或榎嶋或ハ繪島工作ル〕

龍口ヨリ嶋マデ十一町四十間也。潮ノ落タル時ハ砂濱也。徒歩ニテモ渡ル。潮盈タル時ハ六町計モ水ヲ踰ル也。嶋ノ入口ヨリ辨才天ノ岩窟マデ十二町半、嶋ハ方廿五町餘有ト也。坂ノ上三石ノ華表アリ。金龜山ト云額アリ。辨才天ノ巖窟甚廣大ナリ。此巖窟ヲ江嶋ノ神トス。社壇ノ下ニ蛇形ト云テ、寶殊ヲ蛇ノ纏ヒタル躰ニ作リテアリ。弘法ノ作ト云。故ニ弘法ヲ巖窟ノ開基トス。嵯峨帝弘仁五年ニ弘法此窟中ニ參寵シテ、天照太神・春日・八幡等ノ諸神ノ像ヲ刻テ、勸請セラル。窟中暗黑、松明ヲ振テ入ル。胎藏界ノ穴、金剛界ノ穴トテ窟中ニ堺アリテ左右ニ分レ行、入事一町餘ニシテ石佛アリ。此ヨリ奧へハ、穴隘シテ立テ行べカラズ。行タル人モナシト云。ソレ迄ノ路ノ側ニ、弘法ノ祈出タルトテ、巖間ヨリ落ル淸泉アリ。蛇形ノ池、弘法ノ臥石アリ。手ヲ以テ授ルニ人肌ノ如ク、濕ニシテ滑膩ナリ。護摩ノ爐トテアリ。觀音アリ。弘法ノ作ト云。石ノ獅子、弘法歸朝ノ時、取來ルト云。

[やぶちゃん注:「天照太神」底本では「太」の右に『(大)』と誤字注をする。

「隘シテ」「せまくして」と訓じているように思われる。

「滑膩」は「カツジ」と読み、滑らかで光沢のあること。]

   長明海道記

 江ノ嶋ヤサシテ鹽路ニ跡タルヽ神ハ誓ヒノ深キナルヘシ

[やぶちゃん注:和歌を読み易く書き直しておく。

 江の島やさして潮路に跡たるる神は誓ひの深きなるべし

「跡たるる」は本地垂迹説に基づく。法華経普門品に「誓深如海」(弘誓深きこと海の如し)とある。]

 此日腰越村ヲ出テ、海濱ニ網ヲ設ケ、若干ノ魚鱗ヲ捕ラシム。御代官成瀨五左衞門、從ヒ來テ我ヲ饗ス。辨才天ノ窟ヲ出テ前ニ魚板(マナイタ)岩トテ面平ニ、大ナル岩アリ。其上三屋シテ四方ヲ眺望スルニ、萬里ノ廻船數百艘、帆腹膨朜トシテ、或ハ又漁艇商船海上ニ滿ミテリ。豆駿・上下總・房州等ノ諸峯連壑分明ニ眼前ニアリ。富士ハ兒淵ノ眞西ニアタル。兒淵ト名ルコトハ、昔建長寺廣德庵ニ自休藏主ト云有僧(僧有リ)、奧州志信ノ人也。江嶋へ百日參詣シケルニ、雪下相承院ノ白菊ト云兒、邂逅シテ後、忍ヨルべキ便ヲ求メシニ、其返事ダニナシ。或時此兒、夜ニ紛レ出テ江嶋ニユキ、扇ニ歌ヲ書テ渡守ヲ賴ミ、若我ヲ尋ル人アラバ見セヨトテ、カクナン。

  白菊トシノアノ里ノ人トハヽ 思ヒ入江ノ嶋ト答へヨ

  ウキコトヲ思ヒ入江ノ嶋陰ニ 捨ル命ハ浪ノ下草

ト読テ此淵ニ身ヲ投ケリ。自休尋來テ此事ヲ聞、カク思ヒ続ケル。

  懸崖嶮處捨生涯  十有餘霜在刹那

  花質紅顏碎岩石  妓眉翠袋接塵沙

  衣襟只濕千行涙 扇子空留ニ首歌

  相對無言愁思切 暮鐘爲執促歸家

ト読テ其儘海ニ入トナン。是ヨリシテ兒淵トハ云トゾ。

[やぶちゃん注:ここに注を挟みたい。

「御代官成瀨五左衞門」ウィキ腰越地域に、『戦国時代になると後北条氏の支配下に入り、北条氏滅亡後は徳川氏の支配下に入った。当初は玉縄藩領だったが、後に成瀬重治が知行し、その際検地を受けた。その後も旗本領となった』とある。

「膨朜」は「膨※」(「※」「朜」の最終の横一角を除いた、(つくり)が「亨」)であろう。「膨※」は「ボウカウ(ボウコウ)」と読み、腹が膨れるの意。順風満帆のこと。

「連壑」は「レンガク」と読み、連なった谷。

「奥州志信」は「しのぶ」と読み、陸奥国信夫郡(しのぶのこおり)。ほぼ現在の福島県福島市に等しい。

稚児白菊の和歌を分かり易く書き直しておく。

 白菊(しらぎく)と信夫(しのぶ)の里の人問はば思ひ入江(いりえ)の島と答へよ

 うきことを思ひ入江の島かげに捨つる命は波の下草(したくさ)

禅僧自休の漢詩を書き下しにしておく。

 花質 紅顏 岩石に碎け

 十有 餘霜 刹那在り

 娥眉 翠黛 塵沙に接す

 衣襟 只だ濕ふ 千行の涙

 扇子 空しく留む 二首の歌

 相ひ對して言ふ無し 愁思 切なり

 暮鐘 孰(たれ)が爲にか 歸家を促す

以下の文章は、底本では「是ヨリシテ兒淵トハ云トゾ。」に直に繋がっていて、改行していない。]

巖本院從者ヲ勞フべシトテ行厨ヲ送ル。成瀨氏海人ヲシテ石決明ヲ取シム。則魚板岩ノ前ナル海へ入テ捕之(之を捕ふ)。或ハ菜螺・大龍蝦・蛸魚等アリ。獻之(之を獻ず)。因テ諸士ト共ニ樂ム。遂ニ一葉ニ乘ジテ嶋嶼ヲ廻リ、巖本院ガ樓ニ上ル。士峯ノ雪筵ヲ照シ、海波淼漫トシテ無限風光ナリ。

[やぶちゃん注:ここに注を挟みたい。

「行厨」「カウチユウ(コウチュウ)」と読み、弁当のこと。

「菜螺」「榮螺」(サザエ)の誤字か。

「大龍蝦」イセエビ。

「蛸魚」タコ。

「淼漫」「ベウマン(ビョウマン)」と読み、水面が果てしなく広がっているさま。淼淼(びょうびょう)。

以下の文章は、底本では「海波淼漫トシテ無限風光ナリ。」に直に繋がっていて、改行していない。]

ソレヨリ後緣起ヲ見ル。其略曰、武烈帝ノ時、金村大臣ト云長者、子十七人アリケルニ、皆五頭龍王ニ取ルヽトゾ。龍口寺ノ東ノ端ニ長者谷ト云所アリ。此時西ノ山沸出、辨才天女示現シテ五頭龍王ト夫婦トナル。欽明帝貴樂元年四月十四日、東ノ山ヲ諸神筑キ成ケルトゾ。此地ノ開基ハ役行者也。次ニ泰澄、次ニ道智、次ニ弘法、皆コヽニ來リ居ル。次三文德帝仁壽三年、慈覺上官ヲ創造ス。正治元年慈悲良眞下宮ヲ建立スル也。慈悲初ハ天臺宗ナリンガ後ニ禪ニ成トナリ。慈悲入宋シテ慶仁ニ逢、碑文ノ石ヲ取來ルト云。龍口山ノ後ニ當リテ阿彌陀池・光明眞言池トテ二ツアリシヲ、泰澄祈リツブスト也。又按ズルニ東鑑ニ者、養和三年、兵衞佐殿、腰越ニ出シ玉フ、御家人等供奉ス。ソレヨリ江島へ御參詣、今日高雄文覺、兵衞佐殿御願祈誓ノ爲、大辨才天ヲ此島ニ勸請ス。今日鳥居ヲ立ラルト云リ。昔北條時政、此島ニ詣テ、子孫ノ繁榮ノ事ヲ祈ル。三七日ノ夜、一人ノ美女來リ告テ云。汝ガ後胤必ズ國權ヲ執ン。其レ無道ナラバ七世ニシテ失フ事アラン。既ニシテ歸ル。時政驚怪シテ見レバ、大蛇ノ長二十丈バカリナルガ海中ニ入ヌ。其遺ス所ノ三鱗甚大ナリ。取テ是ヲ旗ニ着ク。所謂北條ノ三鱗形ノ紋是也。上宮巖本院ト額アリ。朝鮮國螺山筆也。辨才天女、弘法ノ作。幷ニ千躰地藏アリ、役行者ノ作ト云。巖本院再ビ酒饌ヲ設テ饗ス。多景ニヒカレ、シバシバ盃ヲ傾ク。人ヲシテ下宮ヲ見セシム。

[やぶちゃん注:「欽明帝貴樂元年」西暦五五二年。

「諸神筑キ」の「筑」は「築」の意。

「文德帝仁壽三年」西暦八五三年。

「正治元年」西暦一一九九年。

「養和三年」寿永二(一一八三)年。但し、これは養和二年四月五日の誤りである(底本にはその編者注記はない)。以下に「吾妻鏡」の当該部を示す。

〇原文

五日乙巳。武衞令出腰越邊江嶋給。足利冠者。北條殿。新田冠者。畠山次郎。下河邊庄司。同四郎。結城七郎。上総權介。足立右馬允。土肥次郎。宇佐美平次。佐々木太郎。同三郎。和田小太郎。三浦十郎。佐野太郎等候御共。是高雄文學上人。爲祈武衞御願。奉勸請大辨才天於此嶋。始行供養法之間。故以令監臨給。密議。此事爲調伏鎭守府將軍藤原秀衡也云々。今日即被立鳥居。其後令還給。於金洗澤邊。有牛追物。下河邊庄司。和田小太郎。小山田三郎。愛甲三郎等。依有箭員。各賜色皮紺絹等。

〇やぶちゃんの書き下し文

五日乙巳。武衞、腰越邊、江嶋に出でしめ給ふ。足利冠者・北條殿・新田冠者・畠山次郎・下河邊庄司・同四郎・結城七郎・上総權介・足立右馬允・土肥次郎・宇佐美平次・佐々木太郎・同三郎・和田小太郎・三浦十郎・佐野太郎等、御共に候ず。是れ、高尾の文學(もんがく)上人、武衞の御願を祈らんが爲、大辨才天を此の嶋に勸請し奉り、供養の法を始め行ふ間、故(ことさら)に以つて監臨せしめ給ふ。密議なり。此の事、鎭守府將軍藤原秀衡を調伏せんが爲なりと云々。今日、即ち鳥居を立てられ、其の後、還らしめ給ふ。金洗澤邊に於いて牛追物有り。下河邊庄司・和田小太郎・小山田三郎・愛甲三郎等、箭員(やかず)有るに依つて、各々色皮(いろがは)・紺絹(こんきぬ)等を賜はる。

・最初の「御共」の内の名が挙がる十六名の人物を順に以下に正字で示しておく。

足利義兼・北條時政・新田義重・畠山重忠・下河邊行平・下河邊政義・結城朝光・上総廣常・足立遠元・土肥實平・宇佐美實政・佐々木定綱・佐々木盛綱・和田義盛・三浦義連・佐野基綱

・「文學上人」頼朝に決起を促した文覺は、こうも書く。

・「牛追物」鎌倉期に流行した騎射による弓術の一つ。馬上から柵内に放した小牛を追いながら、蟇目・神頭(じんどう:鏑に良く似た鈍体であるが、鏑と異なり中空ではなく、鏑よりも小さい紡錘形又は円錐形の先端を持つ、射当てる対象を傷を付けない矢のこと。材質も一様ではなく、古くは乾燥させた海藻の根などが使われたというから、時代的にも場所的にも、ここではこの矢が如何にもふさわしい)などの矢で射る武芸。

・牛追物の名の挙がる四名の射手を順に以下に正字で示す。

下河邊行平・和田義盛・小山田重成・愛甲三郎季隆

・「箭員有るに依りて」牛に的中した矢数が多かったので。

・「色皮・紺絹」色染めをした皮革や藍染めの絹。

 

「腰越ニ出シ玉フ」「出シメ玉フ」の「メ」の脱字。

以下は、改行されている。]

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