生物學講話 丘淺次郎 第六章 詐欺
第六章 詐 欺
敵を攻めるに當たつても、その攻撃を防ぐに當たつても、敵の眼を眩して、自分の居るのを悟らしめぬことは頗る有利である。敵が知らずに居れば、不意にこれを攻めて容易く討ち取ることも出來る。敵が知らずに通り越せば、全く危難を免れることが出來る。いづれにしてもこの位、都合の好いことはないから、生物界に於ては、詐欺は食ふためにも食はれぬためにも極めて廣く行はれて居る。そして瞞して暮す動物は代々瞞すことに成功せねば生活が出來ず、その相手の動物は代々瞞されぬことに成功せねば餓死するを免れぬから、一方の瞞す手際と他方の瞞されぬ眼識とは、常に競爭の有樣で相伴つて益々進んで行く。恰も器械師が精巧な錠前を造れば、直に盗賊がこれを開く工夫を考へ出すから、更になほ一層巧妙な錠前を造らねばならぬのと同じである。されば精巧な錠前は盗賊が造らせるといひ得る如く、動物界に見る巧な詐欺の手段は、皆その敵なる動物が進歩發達せしめたといふことが出來よう。即ち詐欺の拙いものは、代々敵が間引き去つてくれるから、巧なもののみが代々後に殘つて、終に次に述べる如きものが生じたのであらう。