芥川龍之介漢詩全集 二十六
二十六
昨夜歸途得短韻
十載風流誤一生
愁腸難解酒杯傾
煙花城裡昏々雨
空對紅裙話旧盟
〇やぶちゃん訓読
昨夜の歸途、短韻を得
十載(じつさい) 風流 一生を誤まる
愁腸 解き難く 酒杯傾むく
煙花 城裡 昏々たる雨
空しく紅裙(かうくん)に對し 旧盟(きゆうめい)を話す
[やぶちゃん注:龍之介満二十七歳。
大正九(一九二〇)年九月十六日附小島政二郎宛(岩波版旧全集書簡番号七七一)
に所載する。
「十載」これは杜牧の詩に基づくのであろうが、しかし実際の芥川龍之介に即して考える時、ある意味を持つように思われる。十年前は龍之介十八歳、明治四三(一九一〇)年であるが、この三月に府立第三中学校を卒業し、四月に第一高等学校文科(一部乙類)への進路を決定している。龍之介の「風流」たる文芸への道は、この時に決まったと考えてよい点が一つ、 今一つの人の「風流」たる(と私は思っているし、龍之介もそう思っていたと確信する)性への本格的な眼ざめや童貞喪失なども、私はこの十八の頃に推定するのである。それは芥川龍之介の赤裸々な未定稿「VITA SEXUALIS」が『これで中學二年までのVITA SEXUALISの筆を擱く』で終わっていることに基づく(龍之介には別にやはり大胆に同性愛経験を記した未定稿「VITA SODMITICUS(やぶちゃん仮題)」もある。未読の方は是非お読みあれ。リンク先はいずれも私のテクストである)。
「愁腸」憂愁に沈んだ心。
「煙花」妓女・芸妓、また、彼女らの境遇、花柳界のことを指すが、結句との絡みからもここは具体な遊廓をイメージしてよい。
「紅裙」妓女・芸妓。
「旧盟」昔、二人で交わした約束。ここでは作者のみでなく妓の老いも詩背に読むべきである。
本詩は晩唐の杜牧の七絶「遺懷」をインスパイアしたものと考えてよい。以下に示した訓読は龍之介自身が、この直後の大正九(一九二〇)年十一月に『文章倶樂部』に発表した「漢文漢詩の面白味」の中の中で漢詩の中で『抒情詩的(リリカル)な感情』のある例として示したものを、句読点を排除して示したものであるが、読みは私が振った(リンク先は私のテクスト)。
遺懷
落魄江湖載酒行
楚腰纖細掌中輕
十年一覺揚州夢
贏得靑樓薄倖名
遺懷
江湖に落魄して酒を載せて行く
楚腰(そえう)纖細 掌中に輕し
十年一たび覺む 楊州の夢
贏(か)ち得たり 靑樓薄倖(はつかう)の名
起承は若き日の遊蕩のフラッシュ・バック、結句は「今の私の手の内にあるのは……『色町の浮気者』という不名誉な名ばかり……」の意である。承句の「楚腰繊細」を「楚腰腸斷」とするテクストもあり、すると更に龍之介の「愁腸」に隣接する。但し、この詩の背景は逆にポジティヴなもので、淮南節度使牛僧孺(ぎゅうそうじゅ)の幕僚であった杜牧が八三五年三十三歳の春に監察御史に任命され、揚州を去って長安に向う直前の作と推定されており、一種の旧巷との離別や主君への謝意を自己卑下によって示したものであろう。]
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