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2012/12/12

鎌倉日記(德川光圀歴覽記) 水無瀬川

   水無瀨ノ川

 長谷へユク道ノ小橋也。古歌ニミナセノ川ト有。ミナセ川ハ山城・攝津・大和ニモアリト云。俗ニ傳テイナセ川ト云。實朝大佛谷ニテ此川一覽ノ時分イナト云魚、海ヨリノボリケルヲ見テ、遂ニイナセリ川一名ヲ付ラレ、歌ヲヨマル。其歌ニ

  鎌倉ヤ御輿カ嶽ニ雪消テ イナセリ川ノ水マサリケリ

[やぶちゃん注:現在の稲瀬川。

「イナ」出世魚のボラ目ボラ科ボラ(鯔) Mugil cephalus の、二〇センチメートル程度の成魚の直前の若魚の時の名。ナヨシなどとも呼ぶ(粋で勇み肌の若い衆を言う「いなせ」は、彼らの好んだ月代(さかやき)の青々とした剃り跡をイナの青灰色の背に見たてた「イナの背」とも、また、彼らがわざと髷を派手に跳ね上げた髪型を好んだのを、「イナの背鰭」に譬えたとも言われる)。

「イナセリ川」前掲のイナが先を争うように河口付近で青い背を見せて「せる」(「競る」か「反(せ)る」か)様子を謂うのであろう。ボラは同体長の個体同士で大小の群れを作っては水面近くを盛んに泳ぎ回り、しなしば海面上にジャンプする。時には体長の二~三倍の高さまで跳び上がることがあり、「イナがせる」というこの語はなかなかリアルであると私は思う。

 しかし、この歌自体は実朝の歌として正式には伝わっていない。少なくとも「金槐和歌集」には所収せず、そもそもが「金槐集」には初句を「かまくらや」とする和歌は、意外なことに、ない、のである。「万葉集」でも「みなのせ」であり、この稲瀬川は、文字通りいなせなピカレスクのレビューたる、歌舞伎の「青砥稿花紅彩画(あおとぞうしはなのにしきえ)」(通称「白浪五人男」)二幕目第三場の、知られた「稲瀬川勢揃いの場」の舞台でもあるから、この魅力的な名は後世の付会に過ぎまい。一応、和歌を書き直しておくと、

  鎌倉や御輿が嶽(たけ)に雪消えていなせり川の水まさりけり

なお、以下、読み易くするため、注の後に空行を設けた。]

 

   萬葉集

  マカナシミサネニハ早ク鎌倉ノ ミナノセ川ニ汐ミツランカ

[やぶちゃん注:「万葉集」巻十四にある、詠み人知らずの歌であるが、各所の訓読がおかしい。現在の一般的な読みは、

  ま愛しみさ寢に吾(あ)は行く鎌倉の美奈の瀨川に潮滿つなむか

である。「新編鎌倉志卷之五」の「稻瀨河」でも注したが、訳を再掲しておく。

――お前のことを、私は心からいとおしく思って共寝するために向かっている――鎌倉の美奈の瀬川は、今頃、潮が満ちてしまっているだろうか――たとえそれでも私はお前のもとに行かずにはおられぬのだ――

と言った意味である。]

 

   名所歌          參議爲相

  汐ヨリモ霞ヤサキニミチヌラン ミナノセ川ノアクル湊ハ

  サシノホルミナノセ川ノ夕汐ニ 湊ノ月ノカケソチカツク

[やぶちゃん注:読み易く、書き換えておく。

  潮よりも霞や先に滿ちぬらん水無瀨川の明くる湊は

  さし上る水無瀨川の夕潮に湊の月の影も近づく

「名所歌」は江戸初期の連歌師里村昌琢編になる名所別類題和歌集として有名な「類字名所和歌集」(元和三(一六一七)年成立)のこと。]

 

   楚忽百首        從三位爲實

  立マカフ波ノ塩路モヘタヽリヌ ミナノセ川ノ秋ノ夕霧

[やぶちゃん注:「楚忽百首」戦国時代の連歌師宗牧(そうぼく)の辺になる選集か(編鎌倉志 引用書目にはそうある)。但し、この歌「夫木和歌抄」所収の同人のものとは微妙に異なる。以下に示す。

 立迷ふ波の潮路に隔たりぬ水無の瀨川の秋の夕霧

この歌については、私の電子テクスト鎌倉一」の「稻瀨川」所収のものを参考にした。]

 

   夫木集        野々宮左大臣

  東路ヤミナノ瀬川ニミツ汐ノ ヒルマモシラヌ五月雨ノ比

[やぶちゃん注:「野々宮左大臣」は徳大寺公継(とくだいじきんつぐ 安元元(一一七五)年~嘉禄三(一二二七)年)の号。後鳥羽・土御門・順徳・仲恭・後堀河帝五朝に亙って仕えた公卿。官位は従一位左大臣まで昇った。

  東路や水無瀨川に滿つ潮のひる間も知らぬ五月雨の頃

鎌倉一」の「稻瀨川」所収の「夫木集」からとするものは、

  東路や水無瀨川に滿つ潮のひる間も見えず五月雨の頃

とある。]

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