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2012/12/16

芥川龍之介漢詩全集 二十三

 

   二十三

 

茅簷帶雨燕泥新

 

苔砌無人花落頻

 

遙憶輕寒鳧水上

 

長隄楊柳幾條春

 

 

〇やぶちゃん訓読

 

 茅簷(ばうせん) 雨を帶びて 燕泥新たなり

 

 苔砌(たいせい) 人無く 花落つること頻り

 

 遙かに憶ふ 寒鳧(かんすゐ)水上(すゐしやう)に輕きを

 

 長隄(ちやうてい) 楊柳 幾條(いくでう)の春 

 

[やぶちゃん注:龍之介満二十七歳。大正九(一九二〇)年三月三十一日附恒藤恭宛(岩波版旧全集書簡番号六八六)に所載する。恒藤恭は井川恭のこと。大正二(一九一三)年に第一高等学校第一部文科卒業後は京都帝国大学法科大学政治学科へ進学、同大学院を退学後、この前年大正八年に三十一歳の若さで同志社大学法学部教授に就任していた。大正五(一九一六)年十一月に恒藤規隆(日本最初の農学博士の一人。沖大東島(ラサ島)で燐鉱石を発見してラサ島燐礦合資会社(後のラサ工業)を設立人した)の長女まさと結婚、婿養子となって恒藤姓となっている。この頃の恭はカント派の影響を受けて法哲学に関心を持つようになっており、河上肇・末川博らとも交流している(以上はウィキの「恒藤恭に拠った)。書簡冒頭に載り、頭には「乞玉斧」とある。また、末尾には、

 

二伸 その後御無沙汰した 僕病氣がちで困る 風なども去秋から殆ど引き續けだ 松岡は魚眼眞珠株式會社社長になつた 成瀨は支那へ遊びに行つた 菊池は胃病で困つてゐる 久米はよく働き遊んでゐる 皆さん御變りないだらうね 僕も近々父になる 何だか束縛されるやうな氣がして心細い 拙著一册送る 始の方を少しよんでくれ給へ 頓首

 

とある。詩とは直接拘わらないが、邱氏の解説には、この「松岡は魚眼眞珠株式會社社長になつた」について、非常に興味深い事実が記されているので引用する。『「松岡」とは友人の松岡譲を指すが、「魚眼真珠株式会社」について、新全集の「注釈」は「未詳」としている。実は「魚眼真珠」も中国古来の熟語「魚目混珠」に由来するもので、「にせもの」という意味である。したがって、これが戯れ言であり、芥川流のユーモアなのである。』あるのである。「魚目混珠(ぎょもくこんしゅ)」とは、魚の目玉と珠玉がよく似ていることから、本物と偽物が入り交じっていて紛らわしい喩えである。勿論、私もこの邱氏の解明には驚いた(ただ、龍之介のこうした悪戯好きはよく分かっているので、直ぐに腑には落ちた)が、アカデミックな国文学者として真面目に調べた新全集の注釈者をさえも困らせて――龍之介は今も悪戯っぽい目で、僕らを騙し続けているのである……

 

「茅簷」茅葺きの屋根。

 

「燕泥」詩語で燕の巣のこと。

 

「苔砌」「砌」は階(きざはし)の下の石畳であるから、これは、びっしりと苔生しているそれを描写し、人の訪れの絶えていることをいう。

 

「寒鳧」「鳧」は野鴨。川に浮んだ寒そうにしている羽毛のほこほことしたカモや水鳥の類いをイメージしてよいが、これは同時に固有名詞としての京の賀茂川のことを指す(日本漢詩では「賀茂川」を「鴨水」としたりする)。ここは従って、新春の未だ寒々とした賀茂川の水の流れを同時に映像化する必要がある(但し、そのスケールは実は、架空の大陸の「鳧水」という河にも変換され、あたかも隠者の棲家とする不思議な山水が、そこに現前するように龍之介は創っているに違いない)。……私などは、つい、ここから東へと目が移って、鴨東(こうとう)――祇園の花街が視界の隅の方に見えてしまうのであるが。……

 

「長隄」賀茂川の長堤。今の賀茂川堤や高野川堤は、合わせて七百本を越える桜並木の名所となっている。但し、これも西湖の知られた白堤(はくてい)等が、自動的にオーバー・ラップされて、非日本的(だからここは「楊柳」でなくてはならない)な広角のランドスケープが浮かび上がってくるようになっている。起承句の隠者の庵の描写――それは京の山間の隠れ寺のようでもある――から、転結句では、京で読む恒藤の意識に一度、フォーカスを合わせたものが、そこから再びぼやけたかと思うと――広大無辺の静謐なる大陸的景観へと変容(メタモルフォーゼ)する――かく繫げてゆく龍之介の手腕は、やはり只者ではないという気がする。]

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