芥川龍之介漢詩全集 十七
祈請は叶った――本日、0時0分を以って「芥川龍之介漢詩全集」の穀断ちを止めて再開する。
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十七
鼎茶銷午夢
薄酒喚春愁
杳渺孤山路
風花似舊不
〇やぶちゃん訓読
鼎茶(ていちや) 午夢(ごむ)を銷(つく)し
薄酒 春愁を喚(よ)ぶ
杳渺(えうべう)たり 孤山の路
風花(ふうくわ) 舊に似るや不(いな)や
[やぶちゃん注:龍之介満二十五から二十七歳頃の作(推定)。
龍之介の遺稿として発見された手帳の一つ「我鬼句抄」に所載。
手帳「我鬼句抄」は、全集後記によれば、罫紙(又は半紙の何れか)を自分で綴じて作った古風な手帳に毛筆で書かれたものである(現在、所在不明)。旧全集は記載内容から末尾に編者によって『大正六年―大正八年』と記されてある。なお、本詩は全く同じものが、やはり同様の手帳である短歌・俳句を書き込んだ「蕩々帖」にも最後にぽつんとこの漢詩が記されている。この「蕩々帖」(同じく現在、所在不明)の方は末尾に岩波版旧全集編者によって『大正九年―大正十一年』と記されてある。この推定年代が正しいとするなら、龍之介はこの詩を四年以上の間をあけて、別な手帳に再度記していることになり、彼がある種の愛着を持った詩であったと考えてよいと思われる。
・「鼎茶」は茶を煮るための道具で、ここは茶を立てることを指す。
・「杳渺」邱氏の注に『奥深く遠い様子』とある。
・「銷(つく)し」通常は「けす」と訓ずるところだが、夢を貪る、夢を喰らい尽くす、の意で、かく訓じた。
・「風花」風に吹かれる花であるが、視認する景色や景観を言う。
この詩は流石の私でも、王維の「雜詩三首」の第二首の転結句をインスパイアしたものであろうことが類推される。
君自故郷來
應知故郷事
來日綺牕前
寒梅着花未
君 故郷より來たる
應に 故郷のことを知るべし
來日(らいじつ) 綺牕(きそう)の前
寒梅 花をつけしや未だしや
「綺牕」美しく飾った、私の愛する妻の部屋の窓。
なお、本詩を訓読した筑摩書房全集類聚版では、起承句は和訓を利かせて、
鼎茶(ていちや)は銷(とか)す午(ひる)の夢
薄酒は喚(よば)はる春の愁ひ
杳渺(えうべう)たり 孤山の路
風花(ふうくわ) 舊に似るや不(いな)や
と訓読している。魅力的ではあるが、転結句とのバランスが悪いように思われるので、採らない。]