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2012/12/15

耳嚢 巻之五 狐茶碗の事

 狐茶碗の事

 

 松平與次右衞門(よじゑもん)御使番勤し頃、御代替(おだいがはり)の巡檢使として上方筋(かみがたすぢ)へ至りしに、深草へ至りければ、與次右衞門より家來何某と名乘りて、土器にて坪平(つぼひら)迄揃へし家具を廿人前誂へしとて燒立(やきた)て差出(さしいだ)しけるが、與次右衞門方にては一向覺へ無之(これなく)、家來の内にも申付(まうしつけ)し事なし。不思議成(なる)事也(なり)と思へども、彼(かの)商人は誂へ物とて異約を歎ける故、詮方なく買調(かひととのへ)て今に狐茶碗とて所持せし由。されど火事の節過半燒失しけれど未だ殘りありと、彼與次右衞門子成る人語りぬ。

 

□やぶちゃん注

○前項連関:妖狐譚連関。……でもさ、これって、ただの――嫌がらせ――じゃ、ね?……

・「松平與次右衞門」底本の鈴木氏注に、松平『忠洪(タダヒロ)。寛政二年後書院番。四年遺跡(千五百石)を相続。』とあるが、岩波版長谷川氏注では、『忠英(ただひで)。明和元年(一七六四)御使番、安永四年(一七七五)持筒頭。子なる人は孫に当たる忠洪(ただひろ)を指す。』とある。後者が正しいものと思われる。

・「御使番」若年寄支配で目付とともに遠国奉行や代官などの遠方において職務を行う幕府官吏に対する監察業務を担当し、国目付や諸国巡見使としての派遣、二条城・大坂城・駿府城などの幕府役人の監督や江戸市中火災時に於ける大名火消・定火消の監督などを行った(ウィキ使番」に拠る)。

・「御代替の巡檢使」将軍の代替わり際に行われた御使番の業務。岩波版長谷川氏注には『国情視察を名目に五班を派遣。』とある。但し、松平忠英の御使番就任中はずっと第十代将軍徳川家治である。この叙述が正しいとするならば、これは家治の父家重が。宝暦一〇(一七六〇)年に長男家治に将軍職を譲って隠居後、宝暦一一(一七六一)年に死去してから、数年に亙って行われたものか(そんなにかかったものかどうかは不明)? 識者の御教授を乞う。

・「深草」現在の京都府京都市伏見区深草。狐に所縁の伏見稲荷(深草の南部)や藤森(ふじのもり:深草地区中央西寄り)を含む。また、ここは古代末期より畿内を中心に行われていた土器作(かわらけつく)りの里としても知られ、当時は土器や瓦の名産地であった。特にその土器は釉(うわぐすり)を用いぬ素焼で、主として神事に用いられた。

・「坪」壺皿。本膳料理に用いる、小さくて深い食器。

・「平」平椀。底が浅くて平たい椀。

 

■やぶちゃん現代語訳

 

 狐茶碗の事

 

 松平与次右衛門(よじえもん)忠英殿が御使番を勤めておられた頃のこと、御代替りの巡検使として上方へ赴かれた折り、京の深草の方へと出向いたところ、

「与次右衛門様より遣わされた御家来何某と名乗られたお方よりの御注文により、土器にて坪皿から平椀までの一式、本膳膳具、これ、二十人前、誂えまして御座います。」

と、土地の土器師(かわらけし)が焼き立ての新品を差し出だいたが、与次右衛門方にては、そのような注文をした覚え、これ、一向御座らず、家来の者にも、誰かがそのようなことを申し付けたということ、やはり、これ、御座ない。いや、そもそも、「何某」と申す者も、御家来衆の内には、これ、御座ない。忠英殿も、これには困って、

『……何とも、不思議なることじゃ……』

とは思うたものの、かの商人が、

「……へぇ……特に誂えたものにて御座いますれば……のぅ……」

と、おジャンになるを頻りに歎いて御座ったのを不憫にも思い、詮方なく、一式買い取ったとのことで御座る。

 今に狐(きつね)茶碗と名付けて所持致いておらるる由。

「……されど、火事の折り、大半焼け失せてしもうたが……まあ、未だ幾らかは、これ、残って御座る。」

とは、その与次右衛門の子で御座る御方の語って御座ったことじゃった。

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