生物學講話 丘淺次郎 第五章 食はれぬ法 四 嚇かすこと~(3)
[がらがらへび]
今まで靜にして居たものが急に動き出すことも、往々敵を驚かすに足りる。「くも」の類は車輪のやうな網を張つて蟲の來るのを待つて居るが、若し人が近づいて網に觸れやうとすると、遽に身體を振つて網を搖り動かすことがある。小鳥などに對しては、恐らく一時攻撃を見合せしめるだけの功能はあらう。また敵の近づいたとき一種の聲を發して、今にこちらから攻撃を始めるぞといふ態度を示すのも、一時敵をして近づかしめぬ方便である。蛇類が敵に對するときに、必ず空氣を吹くやうな鋭い音を發することは誰も知る通りであるが、アメリカに産する毒蛇類は、尾に特別の裝置があつて、敵が近づくと頻にこれを鳴し續ける。その裝置といふのは、堅い角質の環で、尾の端の處に幾つも重なつて嵌まつて居る。拔けることはないが、一つづつ自由に動けるから、蛇が尾を振動させると、齒車の速に廻轉する所へ、金棒でも當てたやうな一種の不快な響を生ずる。教科書などには、原名を直譯して「がらがらへび」と名づけてあるが、寧ろアメリカ在住の日本人のつけた「鈴蛇」といふ名前の方が、尾の鳴し方を適切に現して居る。
[やぶちゃん注:「がらがらへび」有鱗(爬虫)目ヘビ亜目クサリヘビ科マムシ亜科ガラガラヘビ属
Crotalus に属する蛇類の総称。マムシ亜科の模式属。南北アメリカ大陸に分布し、尾の先端に脱皮殼が積み重なった部位が存在し、古くなると抜け落ちる(丘先生の言う「拔けることはないが」というのは自然状態で中間部から折れてしまって当該装置が抜けて駄目になることはない、という意味であろう)。草原・森林・砂漠等の様々な環境で棲息しており、危険を感じると尾の積み重なった脱皮殻を激しく振るわせて音を出し、威嚇する。尾の積み重なった脱皮殻の形状と音が、乳児をあやす玩具の「ガラガラ」に似ていることが和名や英名“rattle”の由来する。最大種はヒガシダイヤガラガラヘビで最大全長二・四メートルに達する。また、私が授業でしばしば生物機関の軍事転用で薀蓄を垂れたピット器官(ヘビ亜目の構成種が頭部先端の口唇窩に備えている赤外線感知器官)を持つサイドワインダー“Sidewinder”(和名ヨコバイガラガラヘビ Crotalus cerastes)も実はガラガラヘビの仲間である。授業でハブ類の話を附したように上記の通り、ピット器官は広くヘビ類が持っている器官である(一部、ウィキの「ガラガラヘビ属」を参考にした)。
『アメリカ在住の日本人のつけた「鈴蛇」といふ名前』ネット上を見るとガラガラヘビのテキーラ漬を「鈴酒」と呼ぶなど、現在でも残る風雅な和名である。それにしてもこの部分の記述は時代の匂いを漂わせている。本書の初版の刊行は、
大正五(一九一六)年
使用底本は
大正十五(一九二六)年
の第四版
である。ウィキの「日系アメリカ人」の「歴史」の項を見てみよう。
一九〇〇年
アメリカ本土への日系移民の数が初めて年間一万人に達する。
一九〇〇年代
日系移民による土地の開墾と入植が始まる。
一九〇二年
安孫子久太郎が、カリフォルニア州に日系人専門の人材派遣業「日本人勧業社」(のちに日米勧業社)設立。
日系人によるアメリカでの初の書物となる、ヨネ・ノグチ(野口米次郎。イサム・ノグチの父)の作“The American Diary of a Japanese Girl”が出版される。
一九〇三年
西原清東がテキサス州に移住、後年同地における稲作を成功させる。
一九〇六年
連邦政府、帰化法を改正。司法省、全裁判所に対し日本人の帰化申請を拒否するよう訓令を発布。
一九〇七年
二月に施行された大統領令により、ハワイ、メキシコ、カナダからアメリカ本土への日系人の移住禁止。
ニューヨークで“Japan Society”(日本協会)設立。高見豊彦が紐育日本人共済会を設立。
一九〇八年
日米両政府間で前年から七度に亘り行われた書簡交換により、紳士協定に基づく日本人の移民制限開始。
カリフォルニア州で、“Japanese Association of America”(在米日本人会)設立。
一九〇八年
写真だけのお見合いをしてアメリカの日系人男性のもとへ嫁ぐ女性(いわゆる写真花嫁)の渡航が始まる。
一九一三年
カリフォルニア州で、上記アリゾナ州と同様の法律(対外国人土地法一九一三)施行。一世の土地の購入および一定年数以上の借地が禁じられる。同時期、アリゾナ州では期限を問わず一世による一切の借地が禁じられる。その後他州に拡大。
一九二〇年
二月、日本政府が「写真花嫁」に対する旅券発行を禁止。
一九二三年
ワシントン州で、対外国人土地法修正法により、アメリカ国籍を持つ未成年の日系人の土地所有も禁止され、未成年二世を抜け道的に土地所有者にする手段も絶たれる。
一九二四年
埴原正直駐米大使の書簡により連邦議会が排日に傾き、五月の合衆国移民法一九二四(排日移民法)成立により、正式には七月一日以降、実質的には六月二十四日、移民船「シベリア丸」でサンフランシスコ港に到着した移民を最後に日本人の移民が全面的に禁止される。
そして、太平洋戦争が始まって、日系人の本格的な受難が始まる。……
一九四一年十二月八日
真珠湾攻撃による日米開戦。日系人社会の主だった人々が逮捕される。
以下、「日系人の強制収容」「全員日系二世まらなる工兵隊」「ハワイ出身の日系人兵士によるアメリカ陸軍第一〇〇歩兵大隊編成」「一九四二年十二月のマンザナール強制収容所暴動」と続き、
一九四五年
第四四二連隊(第一〇〇歩兵大隊を日系人志願兵によって組織された第四四二連隊戦闘団に統合したもの)が一万八千百四十三個の武勲章及び九千四百七十六個の名誉戦傷章を受章し、アメリカ軍史上最も多くの勲章を授与された部隊の栄誉に輝く。同時に累積戦死傷率三一四%を記録し、全米軍部隊中、最も損害を受けた部隊としても記憶されることとなる。
とある。……遠い記憶の中の、恐ろしい「鈴蛇」の音(ね)が……聴こえて来る……]