鎌倉日記(德川光圀歴覽記) 江嶋~(2)/森戸への船旅
下宮ノカリ屋ノ前ヲ行、坂ノ上ノ左ニ無熱池ト云アリ。天笠ノ無熱池ヲカタドルト云。岸邊ニ蝦蟆(カイル)石トテ蝦蟆ニ似タル石アリ、昔慈悲此山ニ籠リシ時、蝦蟆障礙ヲナシケル故、加持シケレバ、終ニ此石ニナリケルトナン。池ノ右ノ方ノ坂ヲ上ル、道ノ左ニ福石ト云アリ。參詣ノ輩此石ノ前ニテ、或ハ鳥目、或ハ貝魚類ナドヒロフ時ハ、必ズ豐貴ニナルトナン。慈悲ノ木像アリ。鐘ニ金龍山與願寺鐘トアリ。土御門院ノ細字ニ、慈悲ノ宋ヨリ持來碑石此ニ納置ク。今ハ二ツニ折レテアリ。靑石ニテ幅二尺七寸、長サ四尺八寸、厚サ三寸五分也。左右ニ龍ヲ彫、中ニ古文字アリ。其文ニ曰ク
〔今案ニ楷書是ナルベキ歟。一字ノ大サ如此、コノ四字ヅヽ三行ナリ。剥缺シテ筆畫分明ナラズ。文字ノ外ニ緣アリ。極テ奇ナリ。舊記ニ屏屛風石トハ誤ナリ。〕
[やぶちゃん注:「蝦蟆(カイル)石」カエル石で「蝦蟆」は蟇蛙。
「障礙」は「しやうげ(しょうげ)」と読む。「障碍」と書く。仏教で悟りの妨げとなるものをいう。障害。現在はこれで「しょうがい」とも読める。
最後の長い割注は実際には図の下にある。以下に、「新編鎌倉志巻之六」に載る碑文図を参考までに載せておく。
この図の方がより正確である。]
寶物
緣起 五卷 畫ハ土佐、筆ハ不知。
天照太神ノ角 二ツ
〔是ハ羽州秋田常樂添狀アリ。住僧云、蛇ノ角ナランカト。浮屠ノ民俗ヲ愚カニシ誣ル、此類多ルベシ。〕
[やぶちゃん注:「天照太神」底本では「太」の右に『(大)』と誤字注をする。
「誣ル」は「しいる」と読み、事実を曲げて言う、悪意をもってありもしない事を述べる、の意。
「強いる」と同語源である。]
弘法作刀八昆沙門金像 一軀
金ノ厨子ニ入テアリ。
同阿彌陀繪 一幅
九穴貝 一ツ
二股(マタノ)竹 一本
駒ノ玉 一ツ
太田道灌軍配團扇 一本
練物ニシテ黑塗ナリ。
北條氏康證文 一通
其外禁制書ナド文狀多シ。
慶安二年御朱印 一通
〔境内山林竹木等ノ免狀、獵師町地子同船役者公役也トアリ。〕
是ヨリ舟ニ乘ジテ島ヲ廻リテ南行ス。辨才天ノ窟ノ東ニ石窟アルヲ龍池ト云。此東ニ二ツヤグラト云テ穴二ツアリ。一ツハ新田四郎富士ノ人穴ヨリ此穴へ出ケルトナン。山ノ出鼻嶮キガケヲ泣面崎(ナキツラガサキ)ト云。其東ヲ聖天嶋ト云。又其東ニ離タル所ヲ鵜嶋ト云。始メ山ノ開ケル時、鵜十二羽來テ、此ニ集ル故ニ云トナリ。今ニ辨才天ノ使者也トゾ。此ヨリ海上ヲ渡テ東ノ方へ向フヲ、順風ニシテ一瞬ノ間ニ杜戸ニ到ル。杜戸ノ東南ニ社アリ。世計酒ト云村アリ。酒ヲ造テ此社ニ奉リ、年ノ豐凶ヲ知ナリ。杜戸ノ東ニ、離デサキアルヲ、トツテガ崎ト云也。豆州ノ大嶋等見ユル。城ガ嶋ノ北ニ見タルハ見崎、其北ヲ荒崎ト云。
[やぶちゃん注:「世計酒」は「よばかりざけ」と読むが、村名というのは如何にもおかしい。光圀の聞違いか、「世計ト云社アリ」の誤りであろう。これについて記す「新編鎌倉志巻之七」の「佐賀岡」の条にも、『此の所に佐賀岡の明神と云あり。守山大明神と號す。逗子村延命院の末寺、玉藏院の持分なり。里俗、世計(ヨバカリ)の明神と云ふ。毎年霜月十五日、酒を作り置き、翌年正月十五日に、明神へ供す。酒の善惡に依て、戌の豐凶を計り知る。故に世計の明神と云ふ』とある。
「見崎」ママ。この「トツテガ崎」とは突渡崎で、現在の森戸と葉山の中間点の出先である柴崎海岸である。あそこから城ケ島は確かに見えるが、その北の剣崎が見えるというのは、やや不審な気もする。岬の頂上部が見えるということであろうか。実際に居住されおられる方の御教授を乞うものである。]