一言芳談 三十四
三十四
又云、日來(ひごろ)隨分に、後世(ごせ)をおもふ樣なるものゝ、行業(ぎやうごふ)など、退轉する事あらば、死期(しご)のちかづきたるとおもふべきなり。
〇死期のちかづきたる、久からずして死すべしとおもへば修行もすゝむなり。
[やぶちゃん注:「行業」仏道の修行。ここでは念仏。
「退轉」修行を怠り、一度得た悟りを失って前の迷いの世界に立ち戻ってしまうこと。
「あらば」「退轉」というゆゆしき事態を提示し、更にこれを仮定形で示す時、確かに標注の言うようなパラドックスこそが本条の謂いと言えよう。――「いつか永遠に生きるために、人はしばしば死に身をゆだねなければならない。」――のであった(ドイツ・ロマンの画家カスパー・ダーヴィト・フリードリヒ(Caspar David Friedrich 一七七四年~一八四〇年)の言葉。ペーター・ラウトマン著長谷川美子訳『フリードリヒ「氷海」――死を通過して新しい生命へ――』一一七頁より)。]

