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2012/12/14

耳嚢 巻之五 狐婚媒をなす事

 

 狐婚媒をなす事

 

 近頃の事成し由。武州籏羅郡(はらのこほり)下奈良村に、親は何とやらん言(いひ)し、長兵衞といへる者旅商ひなどして、鴻巣宿の伊勢屋といへる旅籠屋に心安くなせしが、食盛(めしもり)抔いへる女にてはなく、彼(かの)旗籠屋の娘と風與(ふと)密通なして、互ひに偕老(かいらう)の契(ちぎり)をなし、始終夫婦に成(なる)べしと厚くかたらひしが、鴻巣宿失火にて彼いせやも類燒して假に住居なしけれど、兼て右伊勢屋旅籠商賣を面白からず思ひ、在所信州よりも在所へ引込候樣にと申越(まうしこす)故、則(すなはち)鴻巢を引拂(ひきはら)ひ、彼娘を連れて信州何村とやらへ立歸(たちかへ)りしが、長兵衞と道を隔(へだて)ぬれど娘は彼契りを思ひ忘れず、人傳(ひとづて)を以(もつて)頻りに長兵衞方へ申達(まうしたつ)し、千束(ちづか)に餘る文の通ひじなれど、一度いなせの返事もせざれば、彼娘大に恨み、彼百姓の山に稻荷の祠ありしに、一日一夜丹誠をこらし祈りて、彼長兵衞取殺し給はるべしと肝膽(かんたん)を碎き祈りし由也。これは扨置(さておき)長兵衞は、彼(かの)女の事も信州へ引越せしと聞て打忘(うちわす)れ過(すごし)しに、或日外より歸りける川の邊にて、彼娘に行合(ゆきあひ)て大きに驚き、如何して御關所を越(こし)信濃より來るやと、或ひは恐れ或ひは疑ひて尋ければ、彼娘大きに恨み、兼ての約に違(たがひ)しとて胸ぐらを取(とり)怒り歎き、何れ夫婦に成らんと申ける故、先づ我宿へ伴んと、門より内を覗(のぞ)き見れば、親仁と近所の知る人咄して居たる故、密(ひそか)に右近所の人を片影へ呼寄(よびよせ)、しかじかの事也、今宵は裏の明(あき)部屋に成共(なりとも)彼女を差置(さしおく)べき間、親仁の前をあぢよく取計ひ吳(くれ)候樣申て彼女を尋しに見へず、驚(おどろき)て或ひは戶口へ入(いり)又は戶口を出(いで)などせしが、こんと言(いひ)て悶絕なせしゆへ、音に驚き家内不殘立出(のこらずたちい)で、湯よ水よと介抱なせしが、色々口走りあらぬ事のみ申散(まうしさん)じ、全(まつたく)狐の附(つき)たる樣子にて、殊の外空腹に候間粥を給させ候樣申(まうす)故、粥など與へければしたゝか喰ひて、扨何故に此男に附たるぞと、家内近隣の者打寄り尋(たづね)しに、我等は信州何村の狐也、然るにいせ屋何某鴻巢宿に居たりし時、此男彼いせ屋が娘と契りて比翼連理のかたらひをなし、末々は夫婦にならんと約せしに、娘は親に從ひ信州へ引越(ひつこし)たれど、文を以て度々心を通ぜしに、此男一度のいなせもなき故、娘恨み怒りて我社頭へ丹精をこらし、うき男を取殺し吳べきよし祈りけれど、年若の者にあるまじき事にもあらず、依之(これによつて)遙々と下りて女と化して男の心を引見(ひきみ)、又男にのりうつりてかく語る也、似合の緣にもあるなれば、男を信州へ遣し候共、女子を引取(ひきとり)候共緣を取結び然るべしと、彼親仁親族へもくれぐれ語りければ、親も得心して彼長兵衞を信州へ可遣(つかはすべし)と約しければ、其印(しるし)を可差越(さしこすべし)とて、一通の承知の書面を望(のぞみ)し故、書て與へければ、かく大きくては持參成難(じさんなりがた)しとて、好(このみ)て細かに書(かか)せ、耳の内へ疊(たたみ)こみて入(れ)させ、信濃への土產(いへづと)とて藁づとにして首にかけさせて、さらば立歸(たちかへ)る也(なり)とて門口迄出て絕倒せしが、助(たすけ)おこして湯茶などあたへしが、耳の内へ疊入れし書付、首に懸けし藁づとはいづち行けん見へずと也。

 

□やぶちゃん注

 

○前項連関:小侍の死霊から、「耳嚢」ではしばしば現れる狐狸譚へ本格怪異譚で連関。

 

・「婚媒」「なかうど(なこうど)」と訓じたい。

 

・「武州籏羅郡下奈良村」籏羅群は幡羅郡で武蔵国にかつて存在した郡。現在の埼玉県熊谷市の一部及び深谷市の一部に相当する。幡羅の読みは「はら」だったが、中世以後「はたら」と読まれることが多くなり、明治以後は完全に「はたら」となった(以上はウィキの「幡羅郡」に拠った)。

・「いなせ」(否+承諾の意の「然(せ)」)安否。

・「覗(のぞ)き」は底本のルビ。

 

・「あぢよく」底本では右に『(尊經閣本「あじに」)』と傍注する。江戸時代の口語の形容詞「味なり」(だから表記は正確には「あぢよく」)で、うまくやる、手際よく処理するの意。 

 

■やぶちゃん現代語訳

 

 狐が仲人(なこうど)を成した事

 

 近頃のことと申す。

 

 武蔵国は幡羅郡(はらのこおり)下奈良村――親の名前は何と申したか、失念致いたが――長兵衛とか申す旅商いの男、鴻巣宿(こうのすしゅく)は伊勢屋という旅籠(はたご)を定宿(じょうやど)とし、懇意に致いておったが、その――これも所謂、飯盛り女にてはなく――その旅籠主人伊勢屋の娘と、ふと、密かに通じ――まあ、その――互いに偕老の契りを結んで――ありがちな如何にもなことなれど――「終生の夫婦(めおと)となろう」――なんどと熱く語り合(おう)て御座ったと思し召されぃ。

 ところが、鴻巣の宿、これ、大火に遭(お)うて、かの伊勢屋も類焼し、仮住まいとなってしもうた。

 伊勢屋主人、かねてより、かかる旅籠商売を、これ、面白うなく思っておったに加え、伊勢屋故郷の信州よりも、在所へ引き越して戻りくるよう、申し寄越して御座った故、そのまま、鴻巣は引き払(はろ)うて、娘を連れて、信州の何某(なにがし)村とやらんへ、たち帰って御座った。

 が、長兵衛と離れ離れとなった後も、かの娘、契りを深(ふこ)う信じて忘れずに御座った。

 

 人づてを以って、何度も何度も、長兵衛方へと便りを出だいたものの――長兵衛、これ、一度として、安否の挨拶もせなんだによって――娘は深(ふこ)う長兵衛を恨んで――かの伊勢屋在所の山に稲荷の祠(やしろ)の御座ったに、これ、日夜通って、丹誠込めて祈っては、

 

「……かの、長兵衛!……とり殺いて下さいまし!!……」

 

それこそ――文字通り、肝胆を砕かんが如――心の鬼と相い成って、祈り呪って御座った由。……

 

 さても、それはさて置き、長兵衛はと申せば――これ、娘のことは、信濃へ引っ越したと聞いてからこの方、薄情にも、これ、すっかりあっさり、忘れて御座った。

 

 ところが、ある日のこと、出先から家へと帰らんとする途次の川辺にて――かの伊勢屋の娘に、突如、行き逢(お)うて、これ、大きに驚き、

 

「……い、如何にしてか、お、御関所を一人越え、し、し信濃より、どうやって来られたのじゃ?……」

 

と何やらん、恐ろしくもあり、また、何やらん、怪しく疑わしきことにても御座ったればこそ……訊ねたところが……娘、おどろおどろしき恨みの形相にて、

 

「……カネテヨリノ約束……ヨクモ違(たご)ウタナアッッツ!!……」

と長兵衛の胸ぐらを摑んで怒り喚(おめ)き、泣き叫び歎いた末に、

 

「……キット!……ソナタト夫婦(めおと)トナライデ!……オ、ク、ベ、キ、カアァッツ!!……」

と鬼の如く嚙みつかんばかりの勢いなれば、

 

「……ま、まっ、まずは!……我らが家(うち)へ、ま、ま、参りましょうぞ……」

 

となだめすかし、何とか実家へと連れ参ったものの、長兵衛、門より中を覗いてみれば、これ、短気にして口うるさき父と、父子ともに親しくして御座った近所の知人が話して御座った故、密かに、話の途切れに乗じ、この人物を物蔭へと呼び寄せて、

 

「……実は……しかじかの訳にて……今宵は、この先の裏手に御座る空き部屋なんどにでも、この女(むすめ)、匿っておこうと存じますによって……どうか、そのぅ……上手いこと、父の目を少しばかり、ここらから逸らしておいて下さるまいか……」

 

と囁いた。

 

 ところがそれを聴いた男、

 

「……どの……女(むすめ)、じゃ?……」

 

と申す。

 

 長兵衛、振り返ってみれば――かの娘の姿――これ、御座ない。

 

 驚き慌てて屋敷の門を……出たり、入ったり……出たり、入ったり……弥次郎兵衛の如、右往左往致いて、おる……とみえた……が……、

 

「……キャッ!……コン!!……」

 

と叫んだぎり、悶絶致いてしもうた。……

 騒ぎに驚き、家内残らず走り出で、

「湯じゃ!」

 

「いや、水じゃ!」

 

と介抱致いたが、気がついても、これ、訳の分からぬことを口走るばかりにて、

 

「……これは……全く以って狐が取り憑いたとしか思われぬ……」

 

と途方に暮れて御座ったが、

 

「……殊ノ外……空腹ニテ候エバコソ……粥……コレ給(た)ベサセテクリョウ……」

 

と呟けばこそ、粥なんど与えたところが、したたかに喰ろうたによって、家内近隣の者ら、長兵衛をぐるりと取り囲み、

「……さても……何故(なにゆえ)に、この男にとり憑いたか?……」

と質(ただ)いたところ、

 

「……我ラハ信州何某村ノ狐ジャ。……然ルニ、何シニ参ッタカトナ?……

 

……伊勢屋何某ナリ者、鴻巣宿に居ッタ折リ……コノ男、カノ伊勢屋ガ娘ト契リテ、比翼連理ノ語ライヲ成シテハ、末々ハキット夫婦(めおと)トナラント約束致イタニ……

 

……娘ハ親ニ従(したご)ウテ信州ヘ引ッ越シタモノノ……文(ふみ)ヲ以ッテ度々ソノ誠心ヲ、コノ男ニ通ジタニモ拘ワラズ……コノ男、一度ノ安否モ成サザル故……

 

……娘、恨ミ怒リテ、我ラガ社頭ニ丹誠ヲ凝ライテ……『憎ックキ男、殺シテ給(た)ベ!』ト祈ッタジャ。……

 

……シタガ……カクナル事……年若ノ者ノ間ニテハ、コレ……神ヲモ恐レヌ不実ト申スホドノ……トリ殺スニ若(し)クハナキ事ニテモ……コレ、アラザルコトジャテ……

 

……カクナレバコソ……遙々ト、カクモ坂東ノド田舎ニマデモ下ッテ……

 

……マズハ、カノ女ト化シテハ、男ノ心ヲ誘ウテ見定メ……

 

……次ニハ又、男ニ乗リ移ッテハ……カク語ッテヲルトイウ次第ジャ。……

 

……サテモ……我ラノ見ルニ、コノ二人……似合イノ縁ニテモ、コレ、アルト見タ。……

 

……コノ男ヲバ、信州ヘ差シ向クルナリ、娘ヲ引キ取ッテ嫁ト致スナリ……夫婦(めおと)ノ縁ヲトリ結ブコト、コレ、然ルベキコトジャテ!……」

 

と、かの長兵衛が親父や、その場に御座った親族へも、言葉を尽くして語り諭したによって、両親も納得の上、

「この長兵衛を、信濃へ遣わしまする。」

 

と長兵衛――それにとり憑いたる狐――に約したとこが、狐、

 

「――ソノ誤リ無キナキコトノ印(しるし)――コレ、差シ出ダスベシ――」

 

と、本件に附――伊勢屋方へ長兵衛を差し遣わすこと、承知致いた旨の証文一通――を望んだによって、これを書き与えたところが、

 

「――カクモ大キクテハ――コレ――持チ帰ルコト、叶イ難キ――」

 

と難色を示したによって、再度、好みの通り、ごく小さなる紙に、これまた、ごくごく小さなる字にて同文証文を書き写させ、折り畳ませた後、狐の――憑いた長兵衛――が耳の中(うち)へ――押し入れさせた。

 

 最後に、

 

「……一ツ……何カ……信濃ヘノ家苞(いえづと)ニセンモノハ……ナキカ……」

 

と申す故、家内の者がありあわせの、軽(かろ)く、小さき珍味珍品なんどを藁にて包み、長兵衛が首に懸けさせたところ、

「……サラバコソ――タチ帰ラントゾ思ウ――」


と、狐の憑いた長兵衛、屋敷の門口まで出たところにて、再び、卒倒致いた。……

 

 ……助け起こして、湯や茶なんどを含ませ、ようやっと正気づいて御座ったが……先程、耳の内へ畳み入れた書付(かきつけ)も……首に懸けたはずの、あの藁苞(わらづと)も……これ、何処へいったものか……見えずなって御座った、と申す。

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