耳嚢 巻之五 火難を除けし奇物の事 又は この主人公コニカの御先祖であること
火難を除けし奇物の事
椛町(かうぢまち)四丁目に小西市兵衞と言る藥種屋あり。是迄糀町四丁目四度の類燒にいづれもまぬがれし由。然るに火災の節、四間に五間程の藏造の住居なるが、右へ皮の袋を冠(かぶ)せ、所々こはぜ掛(かけ)にして家内皆々迯退(にげの)く由。隣家迄も燒(やけ)ぬれど彼(かの)市兵衞宅は一度も燒ざる由。いかなる革にてありしや、町家の事故、隣家とてもせわしく不思議なる事と人の語りしが、予が同僚の者も親しく火災の節、右家に皮袋を掛しを見候由、僞らざる事と語りぬ。
□やぶちゃん注
○前項連関:感じさせない。一連の呪(まじな)いシリーズに位置付けられる。但し、水に浸した皮革ならば、必ずしも非科学的な迷信とは言えまい。――いやいや!……それより、この薬種屋!――とんでもなく有名な、あの、御先祖だぜぃ!
・「小西市兵衞」岩波のカリフォルニア大学バークレー校版では『小西六兵衛』であり、麹町の薬種問屋小西屋六兵衛店は明治六(一八七三)年に写真関係商品・石版印刷材料の販売を始め、これが後に小西六写真工業株式会社へと発展、昭和六二(一九八七)年にコニカ株式会社と改称した。明治三六(一九〇三)年には国産初の印画紙を発売、昭和一五(一九四〇)年一一月三日には国産初のカラー・フィルム「さくら天然色フヰルム」(後の「サクラカラーリバーサル」)を発売、日本の写真用カメラ・フィルムのトップ・ブランドの一つとして成長した。カメラの製造販売にも力を注ぎ、明治三六(一九〇三)年の国産印画紙発売と軌を一にして国産初の商品名を持つカメラ「チェリー手提暗函」を発売。戦前から「ミニマムアイデア」、「パール」シリーズや「パーレット」シリーズ、「リリー」シリーズなどの大衆~上級者向高品質カメラを数多く作り名を馳せた。平成一五(二〇〇)三年のミノルタとの合併により、現在は複写機・プリンタ等のオフィス用品、レンズ・ガラス基板・液晶用フィルム等の電子材料などを製造販売するコニカミノルタホールディングスとなった(以上はウィキの「コニカ」及び「コニカミノルタホールディングス」に拠る)。訳では、岩波のカリフォルニア大学バークレー校版にもあることであるし、名商人小西六兵衛に敬意を示すために、「小西六兵衛」を採用した。
・「四間に五間」七・二七~九・〇九メートル。縦横ともとれるが、凡その住居四方の大きさの謂いで採った。
・「こはぜ掛」通常、「小鉤鞐」と書いて、足袋・手甲・脚絆・袋物・書物の帙(ちつ)などの合わせ目につけた爪形の留め具を言うが、建築用語では金属板で屋根を葺く際、合わせ目となる部分の端の、少し折り曲げられた、板を留める部分をも言う。ここでは、大判の皮革を何枚もこのこはぜ掛けを用いて連結させ、蔵を覆う程のものにするのであろう。
・「不思議なる事と人の語りしが……」底本ではこの「不思議なる」の部分の右より初めて『(尊經閣本「不思議成事と人の語りしが、左にはあらず、店藏窓毎に草を下けて煙りを除、火炎の除に致事也とかや』と傍注する。即ち、本文の、
いかなる革にてありしや、町家の事故、隣家とてもせわしく不思議なる事と人の語りしが、予が同僚の者も親しく火災の節、右家に皮袋を掛しを見候由、僞らざる事と語りぬ。
が、尊経閣文庫本では(読みは私が振った)、
いかなる革にてありしや、町家の事故、隣家とてもせわしく不思議成(なる)事と人の語りしが、左(さ)にはあらず、店藏(みせくら)窓毎に草を下けて煙りを除(よけ)、火炎の除(よけ)に致(いたす)事也とかや。
となっている、ということである。これは文意からは全体を広範囲に革で覆うのではなく(「左にあらず」)、草を掛けて各所細部に防火処置を施したというのである。しかしこれ、「草」では如何にもおかしい(水で濡らしても効果なく、帰って延焼を助長してしまう)。これは恐らく尊経閣文庫版の書写の誤りであって「革」であろうと思われる。すると、俄然、尊経閣本の方が細部を正確に伝えているような気がしてくるのである。本文にあるような、大きな蔵全体を火災発生を知ってからの短時間の間に、こはぜ掛けなどを駆使して完全に皮革で覆うと言うのは、梱包遮幕の芸術家クリストでも至難の技であろう。むしろ、尊経閣本のように部分部分の火の粉や火煙(ひけむり)の侵入し易い窓部分に皮革を下げて火除けをするというのならば、素人でも一家総出でやれば可能である。但し、訳には本文を採用した。
・「皮袋」最後の最後に新たな知見が示される。実は、これは熨された水に浸した皮革ではなく、皮で出来た袋で中に水を入れてあるのではなかろうか? これならば、焼け難く、熱せられて膨張したり、焼け弾けたり、瓦礫によって裂けても、放水される水によって防火効果がないとは言えまい。流石は小西さん! 頭(あったま)イイ!
■やぶちゃん現代語訳
火難を避けた奇物の事
麹町四丁目に小西六兵衛と申す薬種屋が御座る。
これまで麹町四丁目は、四度の火事類焼に見舞われておるが――この店、いずれもその被害を免れておる由。
如何なる訳かと訊くに、火災の折りには――四、五間程の、蔵を中心と致いた造りの住居なるが――その家全体に革の袋を被せ、革を繫ぎ止める各部分は小鉤鞐(こはぜが)けに致いて綴り合わせた上、初めて家内皆々逃げ退く、というのである。
今迄も何度も、隣家までも皆、焼けおるに、かの六兵衛の家だけは焼けざる由。
「……これ、一体、如何なる革にて御座ろうものか……町家のことでもあり、隣りとの間なんど、これ、如何にも、せせこましきはずなれど……不思議なることじゃ……」
と、さる御仁の語って御座ったれど、実は私の職場の同僚の者も、
「……いや、拙者も、さる火災の折り、通りかかった、かの六兵衛の家に、これ、大きなる革袋の、掛けられておるを、これ、確かに見たことが御座る。……その話、これ、偽りにては御座らぬ。」
と語って御座った。