芥川龍之介漢詩全集 三十九
三十九
山嶂同月色
松竹共風烟
石室何寥落
愁人獨未眠
〇やぶちゃん訓読
山嶂(さんしやう) 月色に同じく
松竹 共に風烟(ふうえん)
石室 何ぞ寥落(れうらく)
愁人 獨り未だ眠らず
[やぶちゃん注:大正九(一九二〇)年前後、龍之介満二十七歳前後(邱氏推定)から、もっと後の三十歳から三十四歳前後の晩年の可能性も排除出来ない。
本詩は、岩波版全集で「手帳」と呼ばれるものの、「手帳(五)」(旧全集)の最後の方に、以下の「三十八」「四十」と連続して書き込まれているものである。底本では起句の頭に「〇」が打たれ、以下の承転結句が一字下げとなっている。「手帳(五)」については「三十八」の注を参照されたい。
「山嶂」「嶂」は高くけわしい山、又は、屏風のように連なる峰。
「風烟」風煙。風と、霞や靄。又は、風に靡く霞。
「石室」ここは所謂、「窟(いわや)」「岩室(いわむろ)」の謂いで、岩壁に自然にできた洞穴、又は岩に横穴を掘って住居とした、隠者の住居を謂う。窟だとまさに龍之介の書斎「我鬼窟」も容易に連想される(しかし、「根がティヴ」――これは文字遊び――な私などはどうしても墳墓の石室の雰囲気が画面にちらついて払拭出来ないで困ってしまう)。
「寥落」荒れ果ててすさまじいこと。荒廃すること。
「愁人」素直に読むならば、起句からの寂寞たる景の中にいるのは、心に愁いを抱いた詩人自身ととれる。ところが、である。これも実は私には困った熟語なのである。何故なら、不倫相手であった秀しげ子のことを龍之介は「愁人」と呼んでいるからである。初出は龍之介の日記「我鬼窟日錄」の大正八(一九一九)年の九月十二日で(リンク先は私のマニアック注附テクスト)、
九月十二日 雨
雨聲繞簷。盡日枯座。愁人亦この雨聲を聞くべしなどと思ふ。
とある。ここの私の注も以下に引いておく。
完全に、妖艶な蜘蛛の巣に絡め捕られた芥川龍之介がここに居る。小津安二郎のようなロー・アングルで雨音だけで撮ってみたい一日である。慄っとするほど素敵だ――。
・「雨聲繞簷」は「雨聲(うせい) 簷(のき)を繞めぐる」と読む。
・「愁人」は「しうじん(しゅうじん)」で、本来は文字通り、悲しい心を抱いている人、悩みのある人の意であるが、芥川龍之介は符牒として「秀しげ子」をこう呼んでいる。それは恋をして愁いに沈むアンニュイな翳を芥川がしげ子の容貌に垣間見たからででもあろうか? ともかくもファム・ファータル秀しげ子に如何にも相応しい(それに引き替え、「或阿呆の一生」で同人を「狂人の娘」と呼んだのは、これ、逆にいただけない)。但し、芥川は「月光の女」「越し人」等、こうした如何にもな気障な愛人呼称の常習犯では、ある。なお、高宮檀氏は「芥川龍之介の愛した女性」で、この符牒について、関口定義氏が「芥川龍之介とその時代」で『芥川が彼女を虚構の世界で美化してしまったことを示すものだ』とするのに対し、『むしろ「秀夫人」の「秀」を音読みして「夫」を省略した、芥川独特の洒落だっただのだろう』とする説を唱えておられる。何れもあり、という印象である。
これがまた、邱氏の推定する大正九年であるとすれば、しげ子は龍之介の中でまだ強い嫌悪の対象にはなっていない時期であるから、この「愁人」の語に彼女を重ね合せるのは強ち見当はずれではないと言える。寧ろ、新全集の推定するように、これよりもずっと後の晩年の作とすると、「愁人」は彼女ではないと断言出来るのである。
「愁人獨未眠」邱氏も指摘しておられるように、一読、これは知られた韋応物の五絶「秋夜寄丘二十二員外」の結句に基づく。
秋夜寄丘二十二員外 韋應物
懷君屬秋夜
散歩詠涼天
山空松子落
幽人應未眠
秋夜 丘二十二員外に寄す
君を懷ひて 秋夜に屬(しよく)し
散歩して 涼天に詠ず
山 空(むな)しうして 松子(しようし)落つ
幽人(いうじん) 應(まさ)に未だ眠らざるべし
「丘二十二員外」丘氏の排行二十二男の員外郎の意。作者の友人で名は丹。蘇州の人という。員外郎は公務員の定員外に補任された補佐官。]