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2012/12/07

耳嚢 巻之五 藝は身の損をなす事

 藝は身の損をなす事

 藝は身を助(たすく)るといふ事あれど又一概にも言れざる故か。春日(しゆんにち)市右衞門が家は先租武功の者なりしが、甚だ笛を好(このみ)、誠に其頃の上手にて、既に和州の内と哉(や)らん吹留(ふきどめ)の瀧といふ瀧有由、右も彼春日、瀧のかしましきを忌(いみ)て笛を吹(ふき)ければ、山神の感じ給ふにや、右瀧暫(しばらく)留(とどま)りて音なかりし故、今に春日が吹留の瀧といふと也(なり)。かゝる上手も笛を好みけるゆへなるべし、好む所害をせしけるや、いつとなく猿樂仲間に入て、今は全くの笛吹となりぬと人の語りしを爰に記しぬ。

□やぶちゃん注

○前項連関:春日市右衛門の逸話二連発。通言「芸は身を助くる」の、一捻り入った「芸は身を損ずる」という洒落のめした反ヴァージョン(笛が上手過ぎて、賤しき「ホカイビト」「河原乞食」たる芸人の仲間に身を落とした、ということを「所害」とする)。面白い(勿論、芸能者への当時の差別的認識は批判的に読む必要があることは、言うまでもないが)。

・「和州の内と哉らん吹留の瀧といふ瀧」大和国(現在の奈良県)であるが、諸注、同定を示さない。識者の御教授を乞うものである。ただ例えば、「おたま」氏(ブログのHN)のHP旅」奈良県滝」の中に恐らく含まれていると思われ、それぞれの素敵な画像で見ながら、どの瀧やらんと夢想するもまた楽しかろう。……この話柄からすると、その後も春日に笛の音を山の神が慕って、静まってしまったと考えると……例えば奈良県下北山村にある「音無しなんどは如何であろう?

・「猿楽」中世以降の能・狂言の古称。

■やぶちゃん現代語訳

 芸は身の損とも成るという事

 『芸は身を助くる』ということが言わるるが、いや、これまた、一概には、そうとも申せぬかも知れぬ、という話。……

 かの春日(しゅんにち)市右衛門の先祖は、先に述べた通り、武功の者で御座ったが、かの市右衛門、これ、甚だ笛を好み、それこそ、当時の笛の上手と、もて囃されて御座った。

 さても、大和国とやらん、『吹留(ふきどめ)の瀧』と申す瀧が、これ、御座る由。

 この名の謂われを問えば、かの春日、ここを訪れたところが、その瀧の音の、あまりのかしましさを嫌うまま、笛を吹いたところが――これ、山の神も感じ給(たも)うたものか――かの瀧、暫くの間は、瀧が落ちずなって音もせなんだ故に、『吹留の瀧』という、と伝えられておる。

 さても、かかる上手も、あまりに笛を好んで入れ込んだためにても御座ろうか――まさに『好むところ身を害す』とでも申そうものか――何時(いつ)ともなく、猿楽仲間に入りて、その後は全くの笛吹きとなってしもうた、とは、これ、さる人の語ったを、ここに記しおくもので御座る。

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