畑耕一句集 蜘蛛うごく 序 北原白秋序「言葉」
言 葉
北 原 白 秋
蜘昧うごく。
この一卷の中から感知されるものは、寧ろ本體そのものにあちずして、その動きの速度や投影の妖かしにある。
壁上の蜘蛛うごくとき大いなる
又、
燈をまともすばやき蜘蛛として構ふ
この蜘蛛、おそらくは爛々と兩の眼を輝かしてゐやうが、人ならば洋風の一すばしこい身のこなし、細みといふものが、近代のスマートな都會生活者を思はせる。而も深夜向うむきに跼んで、酸素溶接でもしてゐさうである。
私は句を作らないから押して云ふのは憚られるが、天爾速波といふリベツトの打ち方に些かの緩るみがありはしないか。しかしながら、その速度の投影のすばやさは、さながらシネマ風景のそれであつて、また人事は戲曲の一齣の個處々々を巧みに切りとつて映畫としてゐる。たとへ人事を主にしたものでなくとも、動物にまれ、植働にまれ、時候にまれ、天文・地理にまれ、いづれにしても主役たる人の詩情や體臭や擧作、隨時の心理の波動といふものが纏りついてゐないことはない。鮮やかな知性に加へて、江戸派を昭和の色に替へたやうな都雅性もあり、洒落、快笑、機才に混へたある種の不逞、禍を齎らさぬ程の微苦笑、轉身の巧智等々々、時としてポケツトの時計に香水の香も染ませ、齦のねばりも口に含ませてゐる。かと思ふと、ほのぼのとした新幽玄の匂もあり、俳趣らしい閑寂昧もある。本來の寫生ではないと云ひながら寫生もしてゐる。かう云つた種々相を通じて、成程と思はせるものは、それはやり畑耕一といふ今の人の句だといふことである。一と筋繩ではない。この蜘蛛の手八本で、ことごとくに動いてゐる。
さてこの人、二十幾年かの昔に、「寶惠籠」といふ浪花風流の名調子で、その手だれは私を驚かしたが、右の後その一囃子だけで、ぱつたりと詩は止めで了つた。東都はお茶の水、晩涼の空の蒼みに白いアパートの稜線、その人の棲む四角の窓を仰ぎ見ては、なぞらへた 「煙突雀」の童謠を私から贈つたことも、また思ひ出はあの頃の夢になつた。
句集を編むから序文を書けといふ君であるゆゑ書かしてはもらつた實を云へば、この白秋によく似てゐたといふ面ざしの人の忘れがたさに、それ、その蜘蛛の觸手が、すすつとすばやく動いたのである。
大つごもりの前の五日
阿佐ヶ谷にて
[やぶちゃん注:「跼んで」は「かがんで」「しやがんで」のいずれにも読める。
「齦」は「はぐき」(歯茎)と読む。
「寶惠籠」不詳。本書の次の「小記」で、その冒頭に示される「學生時代」に書いた白秋に認められた「詩」であることは分かるが、私の所持している最新の畑耕一著作目録等にも所収しない。私の所持している最新の畑耕一著作目録等にも所収しない。識者の御教授を乞うものである。
「煙突雀」昭和二(一九二七)年五月発行の『赤い鳥』(十八巻五号)に載る白秋の童謡である。]
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この序文、ちょっと忠告をも含みながら、畑耕一の俳句の核心を実に鋭く解き明かして、最後にモダンに幻想的に賛美している点、実に出色の出来であると言える。そうして、何より、友情、愛情にに満ちている。畑耕一と白秋のこの関係は、もっと掘り下げられてしかるべきもののように僕には思われるのである。