鎌倉日記(德川光圀歴覽記) 御霊宮/星月夜井/虚空蔵堂/極楽寺/月影谷/霊山崎/針磨る橋/音無瀧/日蓮袈裟掛松/稲村崎
御 靈 宮
長谷ヲ出テ南行シ、少シ西ノ方ノ民村ヲ過テ、星月夜ノ井ノ北ナル山ノ下ニアリ。權五郎景政ヲ祭ト也。
星月夜井
極樂寺ノ切通へ上ル坂口ニアル小キ井ナリ。昔ハ晝モ星ノ影、井ノ中ニ見へケル故ニ、星月夜ト云ト也。一女此井ノ中へ莱刀ヲ取落シタリ。是ヨリシテ星ノ影見ユズトナン云傳フ。一説ニ此井ニテハナシ。昔ノ道ハ山ノ上ニアリ。井モ其邊エアリトナン。
後堀河百首 常陸
我ヒトリ鎌倉山ヲ越ユケハ 星月夜コソウレシカリケレ
[やぶちゃん注:和歌を読み易く書き直すと、
我ひとり鎌倉山を越へ行けば星月夜(ほしづきよ)こそ嬉しかりけれ
である。]
虛空藏堂
星月夜井ノ西ニアリ。道心者守之(之を守る)。此堂ノ中ニ石アリ。常ニ濕ヒアリト云。黑ク滑ナル石ナリ。
極 樂 寺
靈山山ト號ス。入口ニ辨慶ガ腰カケ松アリ。是義經腰越ヨリ押歸サレシ時、此松ニ腰ヲカケ、鎌倉ノ方ヲ望ミ、怒レル色アリテ歸タリト云傳フ。律宗西大寺ノ末也。本尊釋迦、西大寺ノ開山興正ガ作ナリ。嵯峨ノ釋迦ノ寫ニテ、西大寺・小大寺ト共ニ一作也。十大弟子ノ木像アリ。作者シレズ。陸奧守平重時建立、左ニ興正ガ木像アリ。道明寺ニモ同作ノ木像アリ。少シモ違ハズ。興正ガ自作トゾ。至極能作クル故ニ、儼然トシテ生ルガ如シ。右ニ忍性ガ木像アリ。良觀ト號ス。興正ガ第一ノ弟子也。大佛ノ別當也。八十三ケ寺建立スルト也。相武ノ間ニモ多シト云。今詳ニ知レガタシ。二王門ノ礎石アリ。昔ハ四十九院有シガ、今ハ只一院アリ。吉祥院ト云。今寺領九貫五百文ノ御朱印アリ。
寺寶
九條袈裟 一ツ
〔乾陀穀子袈裟、東寺第三傳ト書付アリ。乾陀國ノ布ト云。八祖相承トテ弘法マデ傳ハル。又東寺ノ第三ノ祖へ傳ハル上ト云。〕
中將姫心經ヲ繡クル打敷 一ツ〔大サ一尺二寸四方〕
八幡廿五條ノ袈裟 一ツ〔地ハ紗ナリ。〕
天神瑜迦論 三卷
〔長サ二寸五分、一行ニ廿五字ヅヽアリ。極テ細字ナリ。住僧云、鶴岡及稱名寺ノ天神細字ノ經ハ、皆此寺ヨリ分散シタルトナリ。〕
嘉暦二年綸旨 一通
右馬允政季〔建武二年證文、其中ニ武藏國足立郡箕田郷云々。〕
尊氏自筆證文、又自筆ノ狀アリ。
氏滿自筆證文 一通
義滿文狀 一通
舊記ニ藕絲ノ九條ノ袈裟アリ。釋迦ノ袈裟トハ大ナル誤ナリ。又千服ノ茶磨、千服ノ茶碗トテ路邊三石アリ。此寺ノ繁昌ヲ知セン爲ト也。
[やぶちゃん注:「嘉暦二年綸旨」は後醍醐天皇によるもの。
「右馬允政季」末尾に「證文」が抜けている。足利直義の直近の家臣と思われる。本證文は「新編鎌倉志巻之六」の「極樂寺」の当該項の私の注に提示してある。
「足立郡箕田郷」現在の埼玉県鴻巣市。
「天神瑜迦論」は「瑜伽論」とするのが正しい。正確には「瑜伽師地(ゆがしじ)論」という。「新編鎌倉志巻之六」の「極樂寺」の当該項の私の注を参照されたい。
「藕絲」は音「グウシ」、「はすのねのいと」(蓮の根の糸)の意。ここは何らかの旧記に、極楽寺寺宝に『藕絲の九條の袈裟あり』とあって、それを『釋迦の袈裟』とするが、それは大きな誤りである、の意であろう。]
月 影 谷
極樂寺ノ後ロ也。昔ハ暦ノ出ル所ト云リ。此所ニ阿佛屋敷ト云アリ。十六夜記ニ、東ニテ住ム所ハ月影谷トゾ云ナルトアリ。
[やぶちゃん注:「暦ノ出ル所」「新編鎌倉志巻之六」の「月影谷」には『昔は暦を作る者居住せしとなり』とある。]
靈 山 崎
切通ヨリ海中へ出崎ヲ云。此所日蓮雨ヲ乞フ所ナリ。
針 磨 橋
極樂寺ノ南、七里濱へ出ル路ノ小橋ナリ。
音 無 瀧
針磨橋ノ南、七里濱へ出ル口也。沙山ノ松蔭ヲ廻リ傳ヒテ落ル水也。常ハ水モナシ。沙山ナル故ニ、瀧落ルト云トモ音ナシ。因テ音無瀧ト云也。
日蓮袈裟掛松
音無ノ少シ南ノ海道ノ西ニアル一本松也。
[やぶちゃん注:「音無」前掲の音無瀧の脱字であろう。]
稻 村 崎
靈山崎ノ西ノ出崎ニ、稻ヲ積タル如クノ山アリ。是ヲ稻村ト云。其南ノ海上ヲ稻村崎ト云フ。コノ海邊ヲ横手原ト云トゾ。新田義貞鎌倉ヲ攻ル時、此海廿四町干潟ト成、平沙渺々トシテ横矢ノ舟、澳ニ漂フトナリ。因之(之に因りて)名タルトナリ。
[やぶちゃん注:「澳」「おき」と読む。沖。
「名タルトナリ」「名附タルトナリ」の脱字であろう。]