芥川龍之介漢詩全集 二十一
二十一
寂兮舞雩路
亞柯與風蘆
頽兮恩顧士
黄雲呼鴟哉
〇やぶちゃん訓読
寂たり 舞雩(ぶう)の路
亞柯(あか)たり 風蘆(ふうろ)
頽(たい)たり 恩顧の士
黄雲ただ鴟(てい)を呼(よば)ふのみ
[やぶちゃん注:龍之介満二十七歳。
大正九(一九二〇)年三月二十二日附佐々木茂索宛(岩波版旧全集書簡番号六七四)
所載。以下に書簡全文を示す(詩中にある圏点はルビではない形で附した)。
古詩一首
〇
寂兮舞雩路
〇
亞柯與風蘆
〇
頽兮恩顧士
〇
黄雲呼鴟哉
註曰
〇ノ虛字をとるとセキフウウロ、アカブロ、タインコジ、オウウンコジとなる 非凡手 自感歎久之
「虛字」は中国語の実字(名詞・代名詞・形容し・動詞・副詞)に対して、前置詞・接続詞・終尾詞・感動詞などを言う。ここで用いられているのは概ね、何れもリズム調えたり、感動を表現する助字である。「セキフウウロ、アカブロ、タインコジ、オウウンコジ」の内、「セキフウウロ」と「アカブロ」は「赤風呂」で、元は佐々木茂索の兄の経営する古道具屋の屋号とあるが、佐々木はこれを自身の俳号としていた。更に、正式な漢字表記などは確認出来ないが、以下の「タインコジ」「オウウンコジ」というのも佐々木の俳号・雅号えと考えて差し支えあるまい。「非凡手 自感歎久之」は「非凡なる手 自(みづ)から感歎之れ久しうす」と読んでいよう。以上の書信から分かるように、これは完全なアナグラムを鏤めた戯詩である。
「舞雩」「雩」は、雨乞いを意味し、雨乞いの祀りには舞楽を伴ったことから、請雨の祈誓の儀式を「舞雩」と呼んだ。これは「論語」先進篇の「浴乎沂、風乎舞樗、詠而帰」(沂(き)に浴し、舞雩に風して詠じて帰らん)に基づく。「論語」の当該条については、宮武清寛氏のブログ「論語を学ぶ旅〈大聖人孔子の故郷への旅〉(18)舞雩台」に詳しい。そこでは伊與田覺(いよたさとる)氏の注が引かれてあり、「舞雩」を「天を祀って雨乞いの祭りを行ったところ。樹木の茂る景色のよい台地。」とある。また、この場面では孔子の弟子である子路・曽皙(そうせき)・冉有(ぜんゆう)・公西華の四人をトリック・スターとして彼の政治哲学が語られているのであるが、その中の一人、公西華の名は赤である。龍之介は佐々木の雅号とこの公西華を引っ掛けている、即ち、自らを孔子に、龍門の四天王をその弟子たちに擬えているようにも読めないことはない。
また――この手紙の最後は、「十九」で述べた通り、
二伸 ほんたうに狀袋を三四枚書いて送つてくれたまへ たのむ たのむ
と、明らかに女性(秀しげ子か?)からの手紙を家人に怪しまれないための、隠蔽を目的とした封書表書きの依頼という如何にも胡散臭い要請が記されてあるのである。さすれば、このアナグラムの戯れ事も、その後ろめたくおぞましい要請を佐々木に求めることへの含羞を孕んだ、多分にいやらしい擽(くすぐ)りの贈答詩とも読めるのである。但し――いやだからこそか……この詩、何やらん、不吉な印象の古詩ではある……。
「亞柯」「亞」は少ない、「柯」は枝で、疎らな枝。
「風蘆」風に戦ぐ葦。
「頽たり」は思いに沈む様子。邱氏は以下の『祈祷師』が雨を請ずることが出来ず、『虚しい思い』に沈んでいるばかり、といったニュアンスで訳しておられる。
「恩顧の士」邱氏は『人々に厚く信頼された』請雨の達人と讃えられた『祈祷師』とされる。
「黄雲は鴟を呼ふのみ」「鴟」は①鳶。②梟。木兎。③「山海経」に現われる怪鳥などの意があるが、ここは不吉で邪悪なる存在としての梟であろう。黄金色に輝く雲は、肝心の雨を齎すことなく、ただ不吉な梟を呼ばうばかり、といった意味であろう。]