芥川龍之介漢詩全集 十八
十八
我鬼先生枯坐處
松風明月共蒼々
何知老魔窺禪室
一夜乍來脂粉香
〇やぶちゃん訓読
我鬼先生 枯坐する處
松風明月 共に蒼々
何ぞ知らん 老魔 禪室を窺(うかが)ひ
一夜 乍(たちま)ち來たる 脂粉の香(か)
[やぶちゃん注:龍之介満二十七歳。前々月の大正九(一九二〇)年一月二十八日には第四作品集「影燈籠」を出版している。「蜜柑」「沼地」「尾生の信」「疑惑」「魔術」等、歴史物から離れて新境地を開こうとする野心作が並ぶものの、彼自身が自覚的に創作の停滞的状況と評した、マンネリズムに陥っているとされる作品集ではある(リンク先は私の電子テクスト)。更に、この前年の六月に龍之介は「愁人」秀しげ子と邂逅、九月には不倫関係に陥っている(が、この頃には早くも、彼女の独特の性格が既に龍之介を悩まし始めており、龍之介の中に「狂人の娘」(「或阿呆の一生」)という至る嫌悪の萌芽が、既に芽生えていたと私は推定している)。また、この詩が載る書簡の前日の三月二日には日本女子大学の学生で女流作家を夢見ていた森幸枝なる人物からの面談懇請に許可の手紙を書いており(この時は彼女を実見していないが、龍之介好みの美人であったという関係者の証言があり、この直後に来訪、頻繁に訪ね来るようになって龍之介から教授を受けるようになった。かなり個性的な女性であったやに聞き及んでいる)、更にこの前後に、「秋」の執筆情報を得たいという名目で、文から紹介された文の幼馴染み平松麻素子(ますこ)との交際が始まっている(龍之介が、この麻素子と自死の三ヶ月ほど前の昭和二(一九二七)年四月に帝国ホテルで心中未遂を起こしていることは知られた事実である)。私が何故、くだくだしい女性関係をここに記すかは、言うまでもあるまい……私には転句の「老魔」と結句の「脂粉の香」が、それらの龍之介に近づいて来る女人たちの体臭と混じり合った香水や白粉として、確かにリアルに匂って来るからである……。
本詩は大正九(一九二〇)年三月三日附小島政二郎宛(岩波版旧全集書簡番号六五八)に所載する。小島政二郎(明治二七(一八九四)年~平成六(一九九四)年)は、小説家で、龍門の四天王の一人。その葉書の冒頭には、
島秀才示於予香奩體和歌二首卽戲答見贈
とあって、詩が示され、次行下部に、
一笑一笑
とある。前書は訓読すると、
島秀才、予に香奩體(かうれんたい)和歌二首を示す、卽ち、戲れに答見して贈る。
である。この「島秀才」は小島の尊称。「香奩體」は中国の詩風の一体で、主に後宮の婦人や深窓の閨媛などを詠んだ艶麗・艶情・媚態・閨怨を主題とした官能的なものをいう。晩唐の詩人韓渥(かんあく)は、官能的な艶美の詩が得意で、そうした艶体の詩ばかりを集めた彼の詩集「香奩集」三巻が評判を呼び、後に「香奩体」という詩体の呼称になったものである。同大正九年十一月に発表した「漢文漢詩の面白味」を読むと、龍之介自身がこの香奩体自体に興味を持っていたことが窺われる(リンク先は私の電子テクスト)。「答見」は「(和歌を)見て、その答えとして漢詩を詠み」の意であろう。「老魔」は「老獪なる魔」の意である。]