西東三鬼句集「變身」 昭和二十七(一九五二)年 一〇六句
昭和二十七(一九五二)年 一〇六句
荒壁を押し塗る男枯野の日
握りめし食う枯枝に帽子掛け
[やぶちゃん注:「食う」はママ。]
枯野の中獨樂宙とんで掌(て)に戻る
壁透る男聲合唱蔦死なず
寒夜明け赤い造花が又も在る
北國六句
鐵道の大攣曲や横飛ぶ雪
吹雪く中北の呼ぶ聲汽車走る
墓の雪つかみ啖いて若者よ
鏡餠暗きところに割れて坐す
夜の馬俯向き眠る雪の廓(くるわ)
北海の星につながり氷柱太る
變な岩を霰が打つて薄日さす
寒の中コンクリートの中醫師走る
朝の氷が夕べの氷老太陽
女あたたか永柱の雫くぐり出で
硬き土みつめて寒の牛あるく
寢るに手をこまねく霜の聲の中
薄氷の裏を舐めては金魚沈む
寒明けぬ牲(にえ)の若者燒く煙
[やぶちゃん注:ルビ「にえ」はママ。歴史的仮名遣いなら「にへ」。本句集では表現が現代仮名遣い・口語化しているので、以下のママ注記は省略する。]
獨りゆけば寒し春星あざむきし
病者等に雀みのらし四月の木
爪とぐ猶幹ひえびえと櫻咲く
いつまで何を指さす病者春夕べ
雲黑し土くれつかみ鳴く雲雀
クローバに靑年ならぬ寢型殘す
靑みどろ稚き娼婦の試歩ここまで
犬つるみ放れず晝三日月止る
鉢卷が日本の帽子麥熟れたり
燕の子眠し食ひたし雷起る
若者の汗が肥料やキャベツ卷く
翼なき鋤牛頭を振り力出す
おたまじやくし乾からびし路先細る
見事なる蚤の跳躍わが家にあり
葱坊主はじけてつよし雲下がる
七面鳥ぶるんと怒るサイレン鳴る
地より口へ苺運び働きに出る
夏はじまる原色べたと病者の畫
死にし人の金魚逆立つ夜の樂
排泄が牛の休息泥田照る
田を植える大股開き雲の下
植えて去る田に黑雲がべつたりと
南瓜の花破りて雷の逃ぐる音
梅雨明り黑く重たき鴉來る
蟻という字を生きて群がるパンの屑
止らず唸る夜の蠅友として仰ぐ
蚊帳を出で脱兎のごとく出勤す
波うつ麥垣穗に病者伸びあがる
鐵板に息やわらかき靑蛙
夜の蠅の大き眼玉にわれ一人
猫嫌いの不死男へ
關西逃れがたしや姙み猫とも寢る
やわらかき蟬生れきて岩つかむ
炎天の岩にまたがり待ちに待つ
鈍重な女の愛や蚊を連れて
暗く暑く大群集と花火待つ
群集のためよろよろと花火昇る
貧しき通夜アイスキャンデー嚙み舐めて
百合におう職場の汗は手もて拭く
蝙蝠仰ぐ善人の腕はばたきて
こがね蟲闇より來り蚊一帳つかむ
黑みつつ充實しつつ向日葵立つ
見おろしの樗(おうち)を透きて裸童女
橋本多佳子邸
ばくと蚊を呑む蝦蟇お孃さんの留守
誓子海屋 二句
土用波地ひびき干飯少しばかり
女の笑い夕荒れ波の襞々に
入道雲あまたを友に職場の汗
崖下に極暑の息を唸り吐く
麥飯に拳に金の西日射す
荒き雲夜中も立てり嘔吐の聲
靑崖をむしり食ふ山羊繩短し
朝燒を外後架の蟻さまよう
木の無花果食ふや天雷遠き間に
電工の登り切つたる鰯雲
秋風の屋根に生き身の猫一匹
ばかりの朝顏おのれ卷きさがる
旱り田の濛々たるに折れ沈む
土用波へ腹の底より牛の聲
家中を淨む西日の隅にゐる
夕雲をつかみ歩きて蜘蛛定まる
蚊帳出でて蚊の密集の声に入る
黑人にわれに富士山なき秋雨
東京に駄馬の蹄鐵音さわやか
旅毎日芙蓉が落ちし紅き音
雲いでし滿月暗き沖のぞく
十五夜の舟にすつくと男立つ
菓子を食う月照るいわし雲の下
職場へ行く枯向日葵を火となして
病室の床に光りて蟻働く
硝子の窓羽音たしかに梅雨の鳥
恐るる人脅ゆる土に月あまねし
業火降るな今は月光地を平(なら)す
幼き蜂むらがり瓦舐め飽かず
柿轉ぶコンクリートの中死ぬまで病む
秋雨のぬかるみ探し笑みつつ來る
姿なく深き水田の稻を刈る
稻扱機高鳴る方へ犬跳びゆく
蓮掘りが手もておのれの脚を拔く
豐隆の胸へ舞獅子口ひらく
冬の蜂病舍の硝子拔けがたし
女が伐る枯向日葵の莖の棒
朝日さす焚火を育て影を育て
河豚啖いて甲板(デッキ)と陸に立ち分かる
[やぶちゃん注:底本のルビは「デツキ」であるが、これは長く続いてきた出版物の促音ルビの同ポイント表記と見做し、促音化した。]