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2013/01/01

鎌倉日記(德川光圀歴覽記) 円覚寺

   圓 覺 寺

 五山ノ第二也。相模守時宗、弘安五年十月十四日建立。開山圓滿常照國師佛光禪師、諱ハ祖元、字ハ子元、無準ノ嗣法ナリ。亨釋書ニ詳ナリ。本尊ハ釋迦・梵天・帝釋ノ木像、倶ニ京ノ殿ノ作ナリト云。大門ノ額ニ瑞鹿山〔龜山院勅筆〕。法堂ノ額、大光明寶殿〔後光嚴院勅筆〕。百四十貫文ノ御朱印アリ。今ハ塔頭十九ヶ寺アリ。明鏡堂は本尊觀音、佛殿ノ脇ニアリ。毎月十八日ニ衆中寄合懺法アリ。

[やぶちゃん注:「亨釋書」「元亨釋書」の脱字。]

 寺寶

  常照國師自畫白讚

  時宗自筆佛法問答ノ狀幷佛光自筆ノ返札

  勅謚佛光禪師ノ掛物〔伏見院宸翰〕 一幅

  圓覺興聖禪寺ノ額         一幅

    山門ノ額ナリト云。筆者シレズ。

  平貞時ヨリ圓覺寺へノ壁書。其文ニ

     圓覺寺制府條々

   一 僧衆事

    不可過弐百人

   一 粥飯事

    臨時打給一向可停止之

   一 寺中點心事

    不可過一種

   一 寺參時※從輩儲事

    可停止之、

[やぶちゃん字注:「※」=「广」+(中に)「邑」。]

   一 小僧喝食入寺事

    自今以後一向可停止之、但旦那免許非禁制之限、

   一 僧徒出門女人入寺事

    固可守先日法、若違犯者可追放之、

   一 行老人工帶刀事

    固可禁制之、若有犯者永可追出之、

  右所定如件、

   乾元二年二月十二日  沙彌判ト有

[やぶちゃん注:提示の順序が逆。乾元二(一三〇三)年のこちらの寺院禁制の定め書きである制符状の方が次の同文書(クレジット永仁二(一二九四)年)よりも新しい。これは、「鎌倉市史 資料編第二」の資料番号三七の乾元二年二月十二日附「崇演〔北條貞時〕圓覺寺制符條書」である。「※從」はそこでは「扈從」となっている。題の「制府」はママ。寺内の僧衆の総員は二百人を超えてはならない・臨時の粥飯を支給してはならない(禅宗では斎(とき)という午前中一回の食事以外には原則上食事は認められないが、非時と称して昼や夜が認められていたが、ここはそれ以外の間食を禁じているのであろう)・寺内での点心(禅家で非時の昼食を指すが、これは一汁一菜のことと思われ、正式な食事である斎を含む総てか)は一種類を過ぎてはいけない・檀家が檀那寺に参る際には僧の供の者どもに対して饗応してはならない・檀那が許可した以外の小僧や喝食を寺に入れてはならない(稚児はしばしば同性愛の相手となった)・僧の出奔や女の入寺の禁止と違約した者の永久追放(破戒僧は恐らくは打擲されて死んだ場合もあろう)・行者や人工(寺内で作業する職人のことか)の帯刀禁止と違約した者の長期に亙る強制退去の内容である。これは次の禁制の円覚寺再通達版であるところをみると、これらを違反する僧衆が(高い確率で結局はこの後も)後を絶たなかったことを意味している。「沙彌」は貞時のこと。本文に異同はない。]

   禁制條々

  一 僧衆不帶免丁事

  一 禪律僧侶夜行佗宿事

   若有急用之時者爲長老之計可差副人也、

  一 比丘尼幷女人入僧寺事

   但許二季彼岸中日、二月十五日、四月八日、

   七月孟蘭盆兩日、此外於禪興寺者毎月廿二日、

   於圓覺寺者毎月初四日可入也、

  一 四月八日花堂結構事

  一 成臘牌結構事

  一 僧侶横行諸方採花事

  一 僧衆去所不分明出門事

  一 延壽堂僧衆出行事

  一 僧侶着日本衣事

  一 僧徒入尼寺事

  一 四節往來他寺作礼事

  一 僧衆遠行之時送迎事

   右條々於違犯之輩者不論老少、可令出寺也、若於有子細者可指申其名之狀如件、

    永仁二年正月日

                  貞時ノ判ナリト云。

[やぶちゃん注:これは、「鎌倉市史 資料編第二」の資料番号二四の永仁二年正月附「北條貞時禪院制符條書」で、題と内容から見ると、これは鎌倉御府内(と考えられる)の禅宗寺院への共通禁制の定め書きと考えられる。寺内の僧衆は必ず「免丁」――「めんちん」と読み、当該寺院の修行僧であることの安居(あんご)許可証――を所持すること・僧の夜間外出及び外泊の禁止(急用の場合は住持が許可することがあってよいが、その際には必ず人を同伴させることという例外条項あり)・比丘尼及び女性の入寺禁止と除外日の規定(春秋の彼岸の中日〔父母・祖霊の供養〕/二月十五日〔釈迦入滅の涅槃会〕/四月八日〔釈迦誕生の灌仏会〕/七月盂蘭盆両日〔父母・祖霊の供養〕/禅興寺のみ開基北条時頼の命日である毎月二十二日の法会/円覚寺のみ開基北条時宗の命日である毎月四日の法会)・灌仏会に於いてそれを執り行う花堂の供養は質素父母・祖霊の供養・その他の仏事に於ける授戒時の礼式や蠟燭や位牌も質素を心掛けること・僧侶が濫りに寺外に出歩き花を摘むことの禁止・僧衆の無断(行先を告げない)外出の禁止・延壽堂(病気の療養を行っている僧が居住した)の僧の外出禁止・禅僧の正式な宋様式でない日本服の着用禁止・男性の僧徒の天セラへの入寺禁止・四節(叢林に於ける結夏・解夏・冬至・年朝の日を指し、その日に行われる上堂説法のこと)に他の寺に行って礼(飛び入り参加か)をすることの禁止・僧衆の遠出の際の送迎餞別禁止と、それら総てについて違反するものは老若を問わず、寺から永久追放、万一、その違反に仔細がある場合はその内容を申告させよ、という実にこまごまとした禁制が示されていてまっこと面白い。資料二四には最後に貞時の花押があるとする。本文に異同はない(漢字表記は市史所収のもので確認した。「礼」はママ。「違犯」は「市史」では(しんにょう)の中が異なるが、底本通りとした)。]

 宿龍懸物         一幅〔天山道義トアリ。〕

 桂昌           一幅〔同筆〕

 普現           一幅〔同筆横ニ並ビテアリ。〕

[やぶちゃん注:「普現」は「普賢」の誤り。]

 敕會法華御八講役付書   一卷

  相摸入道ノ時ノ事也。レイサン和尚南山ナド云僧此寺ニ在シナリ。

 靑蓮院墨蹟        一幅

  至德元年十二月十一日トアリ。

 最勝輪ノ額        一枚〔後光嚴院宸筆〕

 黄梅院額         一枚

 〔後小松院寅筆二枚、倶ニ夢想堂ノ額ナリ。夢想ハ佛光ヨリ四十九年モ後ナリ。佛光ノ孫弟子ナリ。佛光ハ大覺俗衣ノ甥ナリ。〕

 大幅ノ唐畫ノ觀音     一幅

 浴室本尊跋陀婆羅菩薩畫  一幅

  筆者宗淵トアリ。

 五百羅漢畫        五十幅

  唐畫カ、兆典主カト云。

[やぶちゃん注:「兆典主」は「兆殿主」の誤り。]

 佛光硯          一面

 佛牙舍利幷記

  舍利ヲ琉璃ノ皿ニ入、匕(サジ)ヲ添テスクフテ見セシム。長一寸餘、五アリ。

 一山自筆状        一通

Itizan       是ハ山ノ書判也。則一山ノ文字ナリトゾ。

 臨濟像          一幅〔無準贊〕

 佛鑑像          同 〔璵東凌贊〕

 十六善神         同

 南院國師眞跡       同

 普明國師眞跡       同

 葦航和尚眞跡       同

 中山和尚眞跡       同

 貞時眞跡         四幅

 高時眞跡         一幅

 建長圓覺中納言奉書    一幅

 西園寺殿書        二幅

 六波羅越後守狀      一幅

 尊氏判形         二幅

 瑞泉寺判形        二幅

 同 眞跡         一幅

 法衣寄進状        同〔持氏眞跡〕

 鹿苑院眞跡        同

 此外書畫倶ニ多シ。枚擧スべカラズ。

塔頭ノ内續燈庵ノ寺寶

 尊氏自筆ノ法華經     八卷

 〔跋ニ奉爲三品觀公大禪定門修五種妙行觀應三年九月五日書寫了。正三位源尊氏判トアリ。續燈庵ハ佛滿禪師ト云僧開山ナリ。淨妙寺へモ住持シタル僧ナリ。〕

本堂ノ乘北へ行コト數町計ニシテ、開山ノ影堂アリ。萬年山續庵ト云。西御門ノ大平寺ト云尼寺ヲ引テ法堂ニ立ルト也。開山ノ木像ノ肩・背ニ鳩ト龍トヲ刻ム。妙作也。野鳥來テ肩ニナレ、百龍袈裟ニ現ズト云傳フ。詳ニハ神社考ノ鶴岡部ニ見へクリ。開山堂ノ上ニ坐禪窟アリト云。路險ニシテ上リ難シ。開山堂ノ東側ニ小池アルヲ宿龍地ト云。佛光日光へ渡シ時、一ツノ龍舟ヲ守護ス。後ニ鎌倉マデ送リ、上ノ池ニ宿セシ故ニ名付ト云。山ノ上ニ鹿岩アリ。此寺創立ノ時、鹿ノ奇瑞アルニ因テ瑞鹿山ト名ク。鹿岩アルモ此故ナリトゾ。本堂ノ北側ニ妙香池ト云池アリ。池ノ北ノ岩ヲ虎頭岩ト云。此寺ノ鐘極テ奇巧ナリ。高林ノ中ニ懸タリ。鐘銘幷ニ足利ノ寒松ガ福鹿懷古ノ詩文別紙ニ戴之(之を戴す)。

 表門ノ左右ニアル池ヲ白鷺池ト云。佛光來朝ノ時、八幡白鷺ト化シテ鎌倉ノ導引ヲシテ此池ニ止レリ。因テ此所ニ寺ヲ立テ、池ヲ白鷺池ト云。圓覺寺ヲ出テ南行シテ、第六天ノ森ヲ見ル。建長寺ノ西北、海道ヨリ西ニ有森ナリ。

[やぶちゃん注:「萬年山續庵」は「萬年山續統庵」の脱字。

「佛光日光へ渡シ時」は「佛光日本へ渡シ時」の誤り。

「足利」底本に右に『(足利学校)』と注する。]

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