一言芳談 七十六
七十六
解脱上人云、一年三百六十日は、みな無常にしたがふべきなり。しかれば日夜十二時(とき)は、しかしながら終焉のきざみと思ふべし。
〇一年三百六十日、一年の日の内に、吉日といへども、人の死なぬ日といふはなし。禮讚に一切臨終時(じ)とあるを良忠上人の記に、時々尅々(じじこくこく)に臨終のおもひをなすと釋し給へり。
〇一年三百六十日は、無常のおしうつる也。人間百年よはひともいひ、七十古來まれなり共、杜子は作りける。一年といふより一日にいたり、十二時は無情の緩急をかきたり。
[やぶちゃん注:「一年三百六十日」本邦の旧暦は太陰太陽暦によるが、旧暦の一ヶ月の日数は月に固定されず、年毎に各月が三十日の大の月か、二十九日の小の月となり、その近似値として十二ヶ月×三十日で三百六十日とした謂いである。実際の太陰太陽暦における一年の日数は、平年で三百五十四日程度、補正のための閏月のある閏年の場合は三百八十四日程度で、年によって大きく異なる。
「禮讚に一切臨終時とある」善導「往生礼讃」の偈十二に、
あまねく師僧・父母および善知識、法界の衆生、三障を斷除して、同じく阿彌陀佛國に往生することを得んがために、歸命し懺悔したてまつる。
心を至して懺悔す。
十方の佛に南無し懺悔したてまつる。願はくは一切のもろもろの罪根を滅したまへ。いま久近に修するところの善をもつて、囘して自他安樂の因となす。つねに願はくは一切臨終の時、勝縁・勝境ことごとく現前せん。願はくは彌陀大悲主、觀音・勢至・十方尊を覩たてまつらん。仰ぎ願はくは神光授手を蒙りて、佛の本願に乘じてかの國に生ぜん。
懺悔し囘向し發願しをはりて、心を至して阿彌陀佛に歸命したてまつる。
とある。引用は「往生礼讃 (七祖) ― WikiArc」のものを正字化して引用した。
「良忠」(正治元(一一九九)年~弘安一〇(一二八七)年)は浄土僧。諱は然阿(ねんな)。謚号記主禅師(示寂七年後の永仁元
(一二九三) 年に伏見天皇より贈)。浄土宗第三祖とされる。「良忠上人の記」は不詳。識者の御教授を乞う。
「七十古來まれなり共、杜子は作りける」杜甫「曲江」より。七五八年、安禄山の乱が平定されたこの頃、杜甫は長安で左拾遺(さしゅうい)の官に就いていたが、敗戦の責任を問われた宰相房琯(ぼうかん)の弁護をして粛宗の怒りに触れ、曲江に通っては酒に憂さをはらしていた四十七歳の頃の作。
曲江
朝囘日日典春衣
毎日江頭盡醉歸
酒債尋常行處有
人生七十古來稀
穿花蛺蝶深深見
點水蜻蜓款款飛
傳語風光共流轉
暫時相賞莫相違
朝(てう)より回(かへ)りて 日日春衣(しゆんい)を典(てん)し
毎日 江頭(かうとう)に酔(ゑ)ひを盡くして歸る
酒債(しゆさい)は尋常 行く処に有り
人生七十 古來稀なり
花を穿(うが)つ蛺蝶(けふてふ)は深深(しんしん)として見え
水に點ずる蜻蜓(せいてい)は款款(くわんくわん)として飛ぶ
傳語(でんご)す 風光 共に流轉して
暫時相ひ賞して 相ひ違(たが)ふこと莫(なか)れと
・「曲江」漢の武帝が長安城の東南隅に作った池。水流が之(し)の字形に曲折していたためかく名づけられた。当時は長安最大の行楽地であった(埋め立てられて現存しない)。
・「朝囘」朝廷から帰参する。
・「典」質に入れる。
・「酒債」酒代の借金。
・「蛺蝶」アゲハチョウ。又は蝶の仲間の総称。
・「蜻蜓」蜻蛉。トンボ。
・「款款」緩緩に同じい。ゆるやかなさま。
・「穿花」花の間を縫うように飛ぶ。一説に、蝶が蜜を吸うために花の中に入り込むことともいう。
・「點水」水面に尾をつける。トンボが産卵のために水面に尾をちょんちょんとつけるさま。
・「傳語」言伝(ことづ)てする。]