一言芳談 四十九
四十九
敬佛房或時仰らるゝ、年來(としごろ)死をおそれざる理(ことわり)をこのみ、ならひつる力にて、此(この)所勞(しよらう)もすこしよき樣になれば、死なでやあらんずらむと、きものつぶる、也。さればこそ、御房達のかご負(おひ)一もよくしてもたんとしあひ給たるをば、制したてまつれ。たゞ今はなに事なき樣なれども、つゐには生死の餘執と成べき也。しかればあひかまへて、つねに此身をいとひにくみて、死をもねがふ意樂(いげう)をこのむべき也。
〇所勞、病氣の事なり。
〇かご負、修行者の背にかくる笈(おひ)なり。
〇此身をいとひにくみて、臨終要訣にも、須是不得怕死とあり。遺教經云、此是應捨罪惡之物、假名爲身。沒在老病生死大海。何有知者得除滅之、如殺怨賊、而不歡喜。
[やぶちゃん注:「意樂」「意巧」とも書く(「げう(ぎょう)」という読みは「楽」・「巧」の呉音で、梵語“āśya”の漢訳語「阿世耶」の意)。何かをしようと心に欲すること、心を用いて様々に工夫すること。心構え。
「〇此身をいとひにくみて……」の註をⅠの訓点を参考にして以下に書き下す。
「臨終要訣」にも、『須らく是れ、死を怕(おそ)るることを得ざるべし。』とあり。「遺教經(ゆいけうぎやう)」に云く、『此れは是れ、應(まさ)に捨つべき罪惡の物、假りに名づけて身(しん)と爲す。老病生死(しやうじ)の大海に沒在せり。何ぞ知者有つて、之を除滅し得て、怨賊を殺すが如くして、歡喜せざらん。』と。
この「臨終要訣」は善導の書、「遺教經」は中国の漢訳大乗仏典の一つでクマーラジーバ(鳩摩羅什 くまらじゅう)の訳になる、正しくは「仏垂般涅槃略説教戒経」と呼ぶもの。釈迦が涅槃に際して弟子たちに与えた最後の言葉を集めたものとされる。戒を守って五欲を謹んで定(じょう)を修し悟りの智慧を得ることを説く。特に禅門で重視される。]