西東三鬼句集「今日」 昭和二十五(一九五〇)年 一〇〇句
昭和二十五(一九五〇)年 一〇〇句
冬の山虹に踏まれて彫探し
種痘かゆし枯木に赤きもの干され
電柱も枯木の仲間低日射す
滅びざる土やぎらりと柿の種
波郷へ
燒酎のつめたき醉や枯れゆく松
大いなる枯木を背に父吃る
寒き田へ馳くる地響牛と農夫
男の祈り夜明けの百舌鳥が錐をもむ
眞夜中の枯野つらぬく貨車一本
屋上に雙手はばたき醫師寒し
鯨食つて始まる孤兒と醫師の野球
飴赤しコンクリートの女醫私室
書を讀まず搗き立ての餠家にあれば
冬雲と電柱の他なきも罰
夜の雪ひとの愛人くちすすぐ
年新し狂院鐵の門ひらき
教師俳人かじかみライスカレーの膜
穴掘りの腦天が見え雪ちらつく
餠抱きし父の軒聲家に滿つ
寒明けの街や雄牛が聲押し出す
麥の芽が光る厚雲割れて直ぐ
雄鷄に寒の石ころ寒の土くれ
北陸一〇句
わが汽笛一寒燈を呼びて過ぐ
みどり兒も北ゆく冬の夜汽車にて
北國の地表のたうつ樹々の根よ
冬靑きからたちの雨學生濡れ
日本海の靑風桐の實を鳴らす
默々北の農婦よ鮭の頭買ふ
雪嶺やマラソン選手一人走る
冷灰の果雪嶺に雪降れり
雪國や女を買はず菓子買はず
いつまでも笑ふ枯野の遠くにて
寒の狂院兩眼黑く窓々に
人を燒く薪どさどさ地に落す
[やぶちゃん注:「どさどさ」の後半は底本では踊り字「〱」。]
修德學院 六句
[やぶちゃん注:戦前からあった非行や家庭環境・その他の理由によって生活指導を要する子どもたちに対して心身の健全な育成を図る児童自立支援施設(旧称は教護院)。もと修徳館と呼称したが、昭和九(一九三四)年に少年教護法の施行を機に大阪府立修徳学院と改称、現在に至る(柏原市大字高井田)。三鬼は四句目で「少年院」という語を用いているが、誤りである。少年院は法務省矯正局が管轄し、家庭裁判所の保護処分による入院しか行われないのに対し、児童自立支援施設は家庭裁判所の保護処分以外にも知事や児童相談所長といった児童福祉機関による児童福祉法上の措置として入所する場合がある。時代的背景があるとは言え、そこは批判的な読みをすることを望む。]
みかへりの塔涸川の底乾反(ひぞ)り
院兒の糧大根土を躍り出(で)し
菊咲かせどの孤兒も云ふコンニチハ
少年院の北風芋の山乾く
寒い教室盜兒自畫像黑一色
孤兒の園枯れたり汽車と顏過ぐる
春曉へ貧しき時計時きざむ
坂上に現じて春の馬高し
病者起ち冬が汚せる硝子拭く
病者の手窓より出でて春日受く
わらわらと日暮れの病者櫻滿つ
病廊にわれを呼び止め妊み猫
病廊を蜜柑馳けくる孤兒馳けくる
ボート同じ男女同じ春の河濁り
法隆寺出て苜蓿に苦の鼾
狂院の向日葵の種握りしめ
崖下に向日葵播きて何つぶやく
五月の地面犬はいよいよ犬臭く
コンクリート割れ目の草や雷の下
種痘のメス看護婦を刺し醫師を刺す
診療着干せば嘲る麥の風
うつくしき眼と會ふ次の雷待つ間
黄麥や渦卷く胸毛授けられ
梅雨の卵なまあたたかし手醜し
崖下へ歸る夕燒頭(づ)より脱ぎ
荒繩や梅雨の雄山羊の聲切に
飛行音かぶさり夜の蠅狂ふ
肺強き夜の蛙の歌充ち滿つ
向日葵を降り來て蟻の黑さ增す
星中に向日葵が炎ゆ老い難し
日本の神信ぜず南瓜交配す
梅雨荒れの地に石多し種を播く
梅雨の坂人なきときは水流る
飴をなめまなこ見ひらく梅雨の家
音立てて蠅打つ虹を壁の外に
梅雨晴れたり蜂身をもつて硝子打つ
朝すでに砂にのたうつ蚯蚓またぐ
汗すべる黑衣聖母の齒うがてば
炎天の犬捕り低く唄ひ出す
晝寢の國蠅取りリボンぶら下り
夜となる大暑や豚肉(ぶた)も食はざりし
がつくりと祈る向日葵星曇る
唄きれぎれ裸の雲を雷照らす
敗戰日の水飮む犬よわれも飮む
歩く蟻飛ぶ蟻われは食事待つ
貧なる父玉葱嚙んで氣を鎭む
無花果をむくや病者の相對し
秋來たれ病院出づる肥車
滿月のかぼちやの花の惡靈達
落ちざりし靑柿躍る颱風後
脱糞して屋根に働く颱風後
卵白し天を仰ぎて羽拔鷄
何處へ行かむ地べたの大蛾つまみ上げ
病孤兒の輪がぐるぐると天高し
木犀一枝暗き病廊通るなり
秋の夜の浸才消えては拍手消ゆ
石の上に踊るかまきり風もなし
赤蜻蛉來て死の近き肩つかむ
聖姉妹(マメール)より拔き取りし齒の乾きたり
わが惡しき犬なり女醫の股(もも)嚙めり