一言芳談 六十九
六十九
中蓮房云、本願に歸し、名號を信じてむ上は、念佛相應の教文(けうもん)なればとて、文(もん)にむかひていとまを入れ候ふ事は皆これ順魔(じゆんま)にてあるなり。
〇中蓮房云、此詞を惡し樣に見て、かりそめにも聖教(しやうげう)を讀むを惣じて順魔といふはひが事なり。いとまをいるゝといふにて知るべし。
〇本願に歸し、歸(き)は歸命歸依(きみやうきえ)なり。
〇念佛相應、此詞は要集にあり。
〇いとまを入れ候事、不審さばくりして、思案などする躰(てい)をいとまを入るゝとかけり。(「句解」)
〇順魔、逆魔(ぎやくま)とは外より來る惡緣、順魔とは持經本尊まで、執(しふ)すれば順魔にてあるなり。(「句解」)
[やぶちゃん注:「中蓮房」大橋氏はⅡで伝不詳とするのみであるが、「沙石集」の、「卷第四」の「四 上人ノ妻せよと人に勸たる事」の冒頭に(引用は岩波古典大系版を元としつつ、カタカナの平仮名化と正仮名遣補正をしてある)。
和州松尾と云山寺に、中蓮房と云僧ありけり。中風(ちうぶ)の後、瀧田の大道(だいだう)の邊に、ちひさき庵を結(むすび)てすみけり。大道を山寺の僧共のとほるごとに、「御房は聖にて御坐(おはす)か」と問ふて、「聖なり」と云へば、「とくとく妻し給へ。我身は隨分に學生(がくしやう)にて、若うよりひじりて侍(はべり)しかば、弟子門徒も其數(そのかず)多かりしかども、かゝる中風者(ちうぶもの)、片輪人(かたはびと)になりて後に、さる者ありしとも、思ひあはざるまゝに、すぎわびて、ひたそらに乞匈非人(こつがいひにん)になりはてゝ、さすが命すてられずして、道の邊にして、命をつぎ侍也。妻子あらむには、これ程の心うき事はあらじとこそ(おぼゆ)れ。今すこしも年の若く御坐(おは)する時、人をも相語(あひかたらへ)給へ。年來になりてこそ、夫婦の情(なさ)けもふかけれ。かゝる病は必しも人の上と思給(おもひたまふ)まじきなり」とぞ、すゝめける。思がけなき勸進なれども、其身にあたりて申けるも、理なる方も侍るにや。
・「和州松尾と云山寺」現在の奈良県大和郡山市山田町にあるに真言宗醍醐派別格本山松尾寺か。
・「瀧田」竜田。底本注に、『底本の誤写。竜田は生駒郡三郷(さんごう)村の総称で古くから大和・河内の交通の要路であった』とある。
・「ひじりて」「聖る」という動詞形。
・「すぎわびて」身過ぎを立たせかねて、生計を立てることが出来ずなって。
・「ひたそら」「只管(ひたすら)」の音変化した語。
・「乞匈非人」乞食や貧乏人。「非人」には別に出家遁世した世捨て人の意もあるが、ここは本来の貧しい人の意。
・「相語(あひかたらひ)」情を交わす、契るの意。
なお、この中蓮房の実感に満ちた言葉は即座に、かの親鸞最晩年の境遇を想起させる。親鸞はその最晩年を実弟の天台僧尋有(じんう)の住坊であった三条富小路善法房に寄せ、寡婦となっていた覚信尼(当時は既に別居していた恵信尼の間に出来た末娘)の一家に支えられて生涯を閉じている。しかし、これは名号への一心の信心があれば、そのほかのものはみな「順魔」なれば捨象してよいと喝破した本条の雄々しい中蓮房には相応しい注ではないかも知れない。少なくとも「一言芳談」の信望者は苦虫を潰して、この中蓮房は同名異人と無視するかもしれない。しかし、この言葉こそ、中蓮房が「隨分に學生にて、若うよりひじりて侍」り、その結果として「弟子門徒も其數多か」る時代に述べた言葉(その真偽を問うことは私の目的にはない。各人がなされればよいことである)であり、「沙石集」の感懐は脳卒中の発作を起こして重い後遺症で半身不随となり、「弟子門徒」はみるみるうちに彼を見捨てて去り、遂には路上に、たった独り乞食をする身となった最晩年の中蓮房の、かつて忌避嫌悪した「順魔」としての妻子や身過ぎのための最低限の衣食住や療養費さえもままならない慚愧の念の言葉として、私にはいよよリアルに響く言葉のようにも思える。「沙石集」では筆者のは、彼の言葉を「思がけなき勸進なれども、其身にあたりて申けるも、理なる方も侍るにや」と肯定的に捉えてさえいる。――いや、寧ろ、中蓮房は自ら壮大な芝居をしているのかも知れない……薦を着て誰人います花の春……かく語っておきながら、すっくと立った乞食非人の姿が桜吹雪の中に独り毅然して消えて行く……無名者の遁世僧(遁世僧とは無名者であって更に非僧非俗の「乞匈非人」であってこそ真に遁世僧である)とは……かく、ありたいではないか……
「いとまを入れ候ふ事は」大橋氏注によれば群書類従本では、『いとまを入る事は』とある、とある。
「順魔」「句解」注で示されているように、自己の内側から働きかけて来る悪縁を言う。妻子・財宝などの執着心を起こさせるもの。仏法に敵対する外部の抵抗勢力である逆魔(具体的には病気や厄災)の対語。
「此詞を惡し樣に見て、かりそめにも聖教を讀むを惣じて順魔といふはひが事なり。いとまをいるゝといふにて知るべし」湛澄は「いとまをいるゝ」を、いい加減な気持ちで、暇だから経文でも読むか、弥陀の誓願は不審だから一つそれが分かるようにな経文でも読むか、といった心持ちの意と採って、そうした不善な思いで経文仏典を読むといった安易なことはしてはいけない、と中蓮房は言っているのであって、おしなべて経文仏典を読むこと自体が順魔である、と解するのは大間違いである、と慌てて註しているのである。浄土僧湛澄は所詮、教団を維持拡大しなくてはならぬ『現実の僧』なればこそ、中蓮房の鮮明な喝破の清水に足を差し入れて濁してしまった。寧ろ、ここで注するなら私だったら、
聖教を讀む時はいとまをいれて讀むべからず、本願に歸し、名号を信ずる心もて讀むを第一とす。
とでもやっておくところだ。湛澄さんよ、中蓮房の謂いを補正するあんたは、ちょいと不遜じゃあねえか?(かく、ありがたい湛澄様をかく、罵倒する私も勿論、不遜だがね)。――私はこういう「さばくる」ような注を読むと、悪人正機に疑義を抱き、念仏殺人を誹謗した親鸞の弟子達、それを聴いた時の親鸞の孤独が分かる気がするのである。……
「さばくる」「捌くる・裁くる」は、取り扱う・取り計らう・処理する・捌く、の意であるが、ここは悪い意味で、経文に書かれた内容を浅知恵で変に捏ね繰り回して、の謂いであろう。]
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